幼女わいせつの余罪多数 部屋には大量のビデオと雑誌が…「奈良小1女児殺害犯」の歪んだ半生 死刑判決にガッツポーズ しかしその後は「再審請求」を重ね
植え込みの陰で女児を襲い
最初の犯罪では執行猶予が付いた。だが、2年後の平成3年7月に、再び小林は住吉区の公団住宅で、5歳の女児の首を絞めて殺人未遂で逮捕されたのである。
当時、犯人の小林を取り押さえた喫茶店の経営者はこう話す。
「公団の前をスクーターで通りかかったら、踊り場から、『痴漢! 追っかけて!』という女性の叫び声が聞こえたんです。建物の陰に隠れるように若い男が逃げて行くのが見えました。背の低い、痩せた男でめがねをかけていました。首を絞められた女の子は、幼稚園児でしたが、公団の前にある植え込みの陰で襲われたそうです」
今度は懲役3年の実刑だった。それから十数年の歳月が流れたが、それだけの刑期では、小林を更生させることはできなかった。その間、小林は、トラック運転手や、産経、朝日などの新聞販売所を転々とするが、いずれも長続きしていない。昨年(2003年)の春頃には、被害者宅近辺が配達区域の販売所に勤めていたこともあったから、犯行現場の土地勘はあった。
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逮捕後、殺人罪など8つの罪で起訴された小林は、公判で「死刑を望む」と言い続けた。2年後の2006年9月26日、奈良地裁は死刑判決を下した。被害者が一人の殺人事件で死刑が適用されることはまれだが、裁判長は「更生の可能性はない」「被害者の数だけで死刑を回避することはできない」と、極刑を下したのである。判決を言い渡された後、小林はにやりと笑い、右手を握りしめて腰の脇で数回降り、小さくガッツポーズ。目を閉じて何度かうなずいた。
判決後、小林は即日控訴したものの、後にそれを取り下げ、死刑は確定した。罪と罰を受け入れたかに見えた小林だが、その後の言動は遺族をさらに憤らせるものだった。生への執着が生まれてきたのか、半年後、先の「控訴取り下げ」は無効だと申し立てた。奈良地裁がそれを無効と決定すると、大阪高裁に抗告、それも認められないと最高裁に特別抗告までした。当然ながらそれも認められなかったが、すると今度は再審請求を行っている(地裁、高裁、最高裁とも請求を棄却)。
その後も裁判所には不服があったようで、2012年には、死刑廃止を求める団体に「いま社会に一番伝えたいこと」を問われ、「(再審請求で)新証拠を添えてもなお非を認めない裁判とは、本当に正当なものなのでしょうか」と回答している(『死刑囚90人とどきますか、獄中からの声』(死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90/編)より)。
そして2013年2月21日、死刑が執行された。
事件から21年が経った今年も、女児が通っていた小学校では追悼集会が開かれ、被害女児の父が奈良県警を通じて報道各社に手記を寄せるなど、風化を防ごうという試みが続けられている。
手記の中で父はこう述べている。
「(娘が)生きていれば28歳、どんな人生を歩んでいたのだろうかと想像します。想像の中でしか(娘の)成長した姿を思い浮かべることはできません。この21年間、前を向かなければならない、少しずつでも前に進んでいると思っていましたが、家族を守れなかった現実が私の中に重くのしかかり、前を向いているだけで一歩も進んでいないのだと改めて感じます」
小林という存在がこの世から消えてもなお、父母の時計の針は変わらず止まったままなのである。
【前編】では、事件後、逮捕されるまで、行きつけの居酒屋やスナックで、女児の遺体の画像を見せびらかすという、小林の異常極まりない言動について詳述している。



