「お受験殺人」ではなかった99年の2歳女児殺害事件 地元で「全く目立たなかった地味な子」はなぜ幼女の命を奪ったのか
事実と憶測、そして同情論
逮捕直後のCは、「長い間、心のぶつかり合いがあった」という表現でAさんとの間に確執があったことをほのめかしつつ、頑に供述を拒んでいた。そのため、巷では様々な憶測が生まれることになった。
先に挙げた「週刊新潮」の取材記事は事件発生当時のものである。実際に裁判で明かされたのは、Cの気質に起因する深い心の闇だった。内気で極端に思い込む性格から一方的な疎外感を覚え、Aさんに対して逆恨みの感情を抱くに至っていたのだ。衝動的な部分もあったというCの内面については、人格形成の詳細な経緯や「寺庭婦人」(僧侶の配偶者)としての状況、夫との関係などから分析を試みるノンフィクション書籍や文章が多数世に出ている。
一方、事件発生当時に流れた憶測の1つは犯行動機を「お受験の明暗」とするものだった。国立大付属幼稚園の抽選に当たった側と外れた側、そこで生まれる感情に心当たりがある保護者は多かったようだ。Cを追い詰めた要因はAさんのいじめとするもう1つの憶測と相まって、Cへの「同情論」につながった。
無論、Aさん側はいじめなどの嫌疑を全面否定。出版社4社を相手取った民事裁判を起こし、謝罪広告を条件とした和解に至った。2021年、事件当時の園長で同じ保護者の立場だった女性も、ノンフィクションライターの水谷竹秀氏にこう語っている。
「お受験に夢中になった親同士がぎくしゃくして、恨みつらみが事件に発展したという報道が多かったですが、お受験と事件は関係ありません。昔も今も、国立幼稚園のお受験では、抽選という努力ではどうにもならない運次第。そもそも2人はママ友なんかじゃありませんでした」(主婦と生活社「週刊女性」2021年6月08日号)
大人たちの暴走
Cへの同情論が起こった背景について、エッセイストで共立女子大学名誉教授の木村治美氏は当時、「その世代の母親たちに特有の感覚」を挙げていた。
〈「今の30代の女性が抱いている一番の願いというのは“自分が輝きたい”ということなんだそうです。でも自分の能力を発揮して輝こうというのではなくて、大多数は、夫の勤務先や子供の進学先に輝きの拠り所を求めようとするんです」〉(「週刊新潮」1999年12月16日号)
2002年12月26日、Cの懲役15年が確定した。その数週間前、Aさん夫妻が約1億3700万円の損害賠償を求めた民事裁判は、Aに約6100万円の支払いを命じる判決だった。その一部として毎月約8万円を支払うことになったが、実際は支払われていないという報道もある。
幼い子供の命を奪うに至った一方的な感情、「お受験」という言葉に過剰反応した周囲、Cに対する都合の良い自己投影――事件から26年経ってもなお、大人たちの“暴走”ばかりが目に付くことも、事件に対するやるせない気持ちを募らせる。



