「お受験殺人」ではなかった99年の2歳女児殺害事件 地元で「全く目立たなかった地味な子」はなぜ幼女の命を奪ったのか

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夫に付き添われて自首

 Cは19時半には都内の自宅マンションに帰り着いていた。11時半から19時半まで、8時間の出来事である。翌23日、大塚警察署は公開捜査に踏み切り、Cも当日の様子を聞かれたが、事件に動きはなかった。

 不可解なのはその次の日、24日のCの行動である。この日の午前、Cは実家の母親に電話をして、「遺体を裏庭に埋めた」と打ち明けたのである。

 母親には娘の言葉の意味が呑み込めなかったが、裏庭を見ると、確かに何かを埋めた形跡がある。そこでCの夫に事の次第を電話で伝えた。このとき、Cは外出していたので、夫は彼女の帰宅を待って問い詰めたのだが、Cは何としても口を割ろうとしない。やっとBちゃん殺害を白状したのは、夜中になってからだったという。

 翌25日、夫に付き添われたCは、マスコミで混雑する大塚署を避けて、かつて免許証の更新で来たことのある丸の内署に、逡巡の末、自首したのだった。

気が小さくて内にため込んでしまうタイプ

 Cは静岡県で生まれ育った。実家は兼業農家。近所の住人によれば、

「Cちゃんは小学6年の時盲腸を悪化させて、お医者さんから“もう駄目かもしれない”といわれ、中学1年のほとんどは学校にいけなかったんです。その後、奇跡的に回復したんですが、その時に看護婦さんにお世話になったことがきっかけになって、Cちゃんも看護婦さんを志すようになったんです」

 地元の中学から県立高校の衛生看護科に進んだ。同級生たちはいう。

「高校時代の彼女は、真面目でいつもニコニコしていて、のんびりとした世情に疎い感じの子だったんです。強いて言えば勉強はできた方ですけど几帳面というのか、校則をきちんと守り、靴下もきっちり三つ折りにして履くような流行にも疎い女の子だった」

「全く目立たない地味な子でした。合唱部には入ってましたけど特に中心的ではなかったし、自分から仕切ったり、何かをするようなことが全くない子でした。嫌なことをされても我慢してしまう。頭にきてもポンと言い返せないし、気が小さくて内にため込んでしまうタイプだったと思います。相談事とかもないし、自分のことを話すことはほとんどありませんでした」

妻は都会の生活スピードに付いていけない

 高校卒業後、Cは埼玉県の短期大学に進学した。正看護婦(現在は看護師)の資格を取って、昭和59年に静岡県内の大学付属病院に就職。さらに別の病院で7年間勤務した。

「彼女の勤務態度は真面目で、仕事でミスを犯したことは一度もありません。でも、あまり目立たない人でした。彼女はずっと寮生活でしたが、同僚ともほとんど遊びに行かなかったようですし、外食もほとんどしない。買い物に行くこともなかったようです。それに親しい人もいなかった」(病院の事務員)

 副住職と結婚し、住み慣れた地元を離れたのは1993(平成5年)のこと。

「今回の事件は我々もびっくりしましたよ。あの奥さんがあんな大それたことをするなんて信じられません。ただ、結婚したての頃に副住職から聞いたのですが、“妻は突然東京に出てきたので都会の生活スピードに付いていけないし、方言も多少気にしているみたいなんですよ”と言っていたのを覚えています」(檀家の1人)

 一家の住まいは2DKの賃貸マンション。お盆や暮れ、さらに農作業を手伝うために、Cの実家に一家で度々帰省していたという。一方、Aさんの住まいは近所の高級マンション。経済的に豊かな家庭で、Aさんも典型的な都会育ちだった。

(以上、「週刊新潮」1999年12月9日号掲載記事を抜粋・再編集)

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