【べらぼう】いよいよ終幕へ 錦絵本のはなむけ、亡き妻を描写…緻密なストーリーのなかでも特筆すべき名場面ベスト5
「借金のかたに俺を売った?」
近年のNHK大河ドラマのなかで『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』は、歴史ドラマとして比較的、質が高かった。そう思えた最大の理由は、フィクション描写が史料や、主人公の蔦重こと蔦屋重三郎(横浜流星)が生きた時代のものの考え方および慣習と、できるかぎり齟齬を来さないように創り上げられていたからだと思う。
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描かれる時代の考え方に合わないフィクションが多かったのが、2023年の『どうする家康』だった。一例を挙げれば、徳川家康(松本潤)の正室の築山殿(有村架純)は戦がいかに虚しいかを語り、家康たちの前で「奪い合うのではなくあたえ合うのです」と説いた。隣国同士で足りないものを補填し合い、武力ではなく慈愛の心で結ばれれば、戦は防げるというのだ。しかも、それに家康や重臣たちが納得させられてしまった。
だが、戦国時代には、大名が治める領国の境界は常に敵の脅威にさらされ、戦わなければ敵の侵攻を許してしまった。また、戦う意志を示さなければ、傘下の領主たちもすぐに主人を見限ってしまった。「あたえ合う」という発想は到底生まれえない。そんな話を導入した途端、フィクションは歴史から離れ、ただの空想になってしまう。
史料等で明確にわかることがかぎられる以上、歴史ドラマにフィクションは欠かせない。架空の筋立てでも、当該の時代なら起こり得る展開と、その時代らしい人間が描かれていれば、おもしろいだけでなく、視聴者が時代を理解するのに寄与するだろう。一方、いま挙げた築山殿の例は、歴史への大きな誤解を生んでしまう。
『べらぼう』の放送もあとわずかになったいま、1年間を振り返り、いま述べた観点からよかったと思える場面ベスト5を挙げてみたい。
鮮やかに描かれた松平定信の暴走
5位は、第40回「尽きせぬは欲の泉」(10月19日放送)で描かれた、改革路線を突っ走る松平定信(井上祐貴)と、離れていくかつての同志たちの姿を挙げたい。
改革に妥協がない定信に、老中格の本多忠籌(矢島健一)が、「越中守様、人は正しく生きたいとは思わないのでございます。楽しく生きたいのでございます」と、切迫した様子で進言。老中の松平信明(福山翔大)も、「倹約令を取りやめ、風紀の取り締まりをゆるめていただけませぬか」と追撃した。
ところが、定信は聞く耳をもたず、こう言い放った。「世が乱れ、悪党がはびこるのは、武士の義気が衰えておるからじゃ。武士が義気に満ち満ちれば、民はそれに倣い、正しい行いをしようとする。欲に流されず、分を全うしようとするはずである。率先垂範! これよりはますます倹約に努め、義気を高めるべく、文武に励むべし!」。
定信の同志で、彼の意向で登用された本多忠籌や松平信明でさえ、その妥協のなさに嫌気がさし、生田斗真が演じる一橋治済らと反定信グループを形成することになり、定信には致命的だった。そうした状況が描かれたが、彼らのセリフも、史料に書かれているものとほぼ重なる。優秀だが狭量な定信が、どのように周囲を敵にしていったのかが、史料にあたったていねいな場面づくりで、鮮やかに描かれていたと思う。
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