「右隣の男が突然、オズワルドの脇腹に右手を突き出し…」 日本人記者が目撃していた「ケネディ暗殺犯」射殺の決定的瞬間 「天罰だ」「殺った奴は英雄」群衆からは歓声が上がった
11月22日は、アメリカ第35代大統領のジョン・F・ケネディが暗殺された日だ。1963年の事件発生から62年の今秋、米現代史研究家の奥菜秀次氏の元に、一通のメールが届いた。それは暗殺犯、リー・ハーヴェイ・オズワルドが事件の2日後、ジャック・ルビーによって射殺された現場に居合わせた、ある日本人について問い合わせるものであった。その日本人・小池英夫(サンケイ新聞記者)が遺した見聞録『私家版ケネディ暗殺事件見聞録』を紐解くと、そこには現場に居合わせた者でしかわからない、さまざまな秘話が溢れている。事件から62年を機にそれを紹介し、知られざるオズワルド射殺のドラマを明らかにしてみよう。【前編】では、ダラス署で小池が間近にしたオズワルドの印象について記した。【後編】では、小池が見た、ジャック・ルビーによる衝撃のオズワルド射殺の瞬間を再現する。
【奥菜秀次/米現代史研究家】
【前後編の後編】
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【写真】オズワルド射殺犯、ジャック・ルビーと日本人記者・小池英夫。ダラス署内で共に“取材”をしていた。ルビーがオズワルドに襲いかかる写真も
銃弾がぶち込まれた
11月24日運命の日、寝坊した小池はオズワルドの移送に立ちあうべく、ダラス署へと向かう。彼が“ダラダラ坂”と名付けた、道路と地下ガレージの間の坂道を何度も移動しつつ、移送用の装甲車が道路から地下ガレージに乗り入れる様を見守っていた。そんな時、親切な職員が「ブンヤさん、そろそろ移送の時間だから地下ガレージに戻った方がいい」と声をかけてくれて、彼は地下に向かった。オズワルドが尋問室から下りてきて地下ガレージに現れる直前、小池が護送ルートの最前列に立った時、彼の右横に男が現れた。
後に判明したその男の名は、ジャック・ルビー。
歴史的な護送シーンを撮影しようと手持ちの8ミリカメラを構えたが、光量不足で上手く作動せず、小池はカメラを下した。そのとたん、
「右隣にいた、ソフト帽を被った男が一歩二歩前へ踏み出して、目の前に歩んできたオズワルドの脇腹に右手をズイと突き出した。小生は、彼は放送記者かと思った。そして、飽きもせずまたマイクを突きつけて、何を聞くのかと思った。瞬間、男は、『You,Son of a Bitch!』と大声で叫び、同時に『パン!』という音がした。『ウーッ』呻いてオズワルドはその場に崩れる。彼は小生の右隣の男に撃たれたのだ。両脇の二人の刑事は、棒のように突っ立っている。小生は、生まれて初めて、生身の人間に銃弾がぶち込まれるのを見たのだ。驚くなというも愚かなり」
ピストルが胸を狙っている
だが、小池の恐怖譚はむしろここからだった。
「叫び声が湧き起こり、ライフル銃を持った警官隊や刑事が小生に向けて殺到してきて、手荒く突き飛ばした。危うく、ひっくり返るところだった。右隣の男とオズワルドは、折り重なった警官たちの下敷きだ。その人間ピラミッドの中から、ピストルを握りしめた腕が一本、ニューっと突き出て小生の目の前に迫り、胸を狙っている。ギョッとして飛びのく、それにつれてピストルの腕もついて回る。引き金を引かれたらこの世の終わり、身の終わり、お陀仏様だ。銃口から身をかわそうとしても、足がもつれて自由にならない。刑事がやっとピストルをもぎ取る。この間、実際は短い時間だったろうが、とても長く思えた。銃口というものが、こんなに恐ろしいものとは知らなんだ。警官隊に突き飛ばされてから、白黒カメラを構えてこのシーンを撮らねばならぬと思えども、それが出来ない。身体が震えている」
この時小池が撃たれていたならケネディ、ティピット巡査、オズワルドに次ぐ“第4の殺人”としてケネディ暗殺陰謀論のネタとなり、語り草となっただろう。九死に一生を得た小池だが、上司にたった今見聞きした事を伝えると、上司は「テレビで見た。GI刈りの君も映っていた。すぐ、目撃記事を送れ」と指示し、彼は口述筆記形式で目撃談を伝え、翌11月25日のサンケイ新聞夕刊は小池の目撃談に基づく写真入り記事「オズワルドの最期:“その一瞬”わたしは見た」と一面ぶち抜きスクープで飾った。また、小池が地下から外へ出たとき周囲の人々に目撃談を伝えたところ、
「野次馬は、小生の第一報を聞いて、『やったか』『天罰だ』『やった奴は英雄だ』と拍手し、歓声をあげる。かぶっていたテキサスハットを宙にほうり上げ、まるで野球か米式サッカーの応援団みたいだ」
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