「右隣の男が突然、オズワルドの脇腹に右手を突き出し…」 日本人記者が目撃していた「ケネディ暗殺犯」射殺の決定的瞬間 「天罰だ」「殺った奴は英雄」群衆からは歓声が上がった

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サンドイッチを差し入れ

 翌26日のサンケイにも小池の記事「惨劇の舞台:ダラスの市民」との見出しで、同市の人々がオズワルド殺害に歓喜し、ルビーを称賛する模様が報じられた。小池が報じた様に市民はオズワルド殺害に歓喜しており、ダラス署に留置されたルビー宛てに彼らから感謝と激励の手紙や電報、支援金、小切手が殺到し、それはバインダーに綴じられるほどの厚さだった。

 ルビーはダラス署に拘留され“第三の暗殺”を防ぐためダラス署は彼と外部の人々を徹底して遮断し、小池とルビーの因縁はついに終わったかと思えたが、彼は思い出したようにこんなエピソードを記している。

「ルビーは、報道陣にとって“見知らぬ人間”ではなかった。彼は22日深夜、つまり事件第一夜の、あのオズワルドの記者会見以来、『イスラエルの新聞記者だ』と名乗って、いつもソフト帽を被り、記者室やブロードウェイ(筆者注・ダラス署内の記者が屯したエリア)をブラブラしていたのである。『俺はあいつと話した』とか『奴はいやに愛想のいい野郎だった』とか、報道陣の中から次々と証言が出てきた。小生も見覚えがあった。だから、地下ガレージで右隣から急に飛び出した時、放送記者がインタビューするつもりか、と思ったのだ。それにしても、記者室一同にとって、ショックだったのは、23日早朝の新聞紙包みの中に、彼の差し入れによるサンドイッチが入っていたということである。“コーヒー特派員”(筆者注・ダラス署に滞在中の記者団の中から、レストランにコーヒーを買い出しに行く者の呼称)にもなり、“仲間”へのサービスにこれ努めていたのだ。これは、彼自身の警察に対する自供でわかったことである。『奴の差し入れを喰ったとは、胸糞悪いぜ』と誰かが吐き捨てるように言う。『暗殺者の暗殺者の差し入れをパクついたといえば、これはニュースだよ』と誰かがまぜっ返す。そして『こんなに集まれば、二人や三人の偽記者やインチキカメラマンがいたってわかりっこねえな。お前さんは本当に記者かね』と一人が言えば、『そういうてめえは何者だ』と掛け合い漫才みたいなことも始まる。報道陣にとっては、ルビーの存在は後味の悪い話であった」

情報の宝庫

 以上が小池のダラスでの貴重な体験談である。

 小池の回想録は従来の研究書やルポにはない視点や情報も多い。同書に関するマイヤーズ(【前編】参照。小池の存在について筆者に尋ねてきたアメリカの研究者)の感想をここに記しておく。

「小池氏の回顧録は、小池氏による暗殺事件報道に関する情報の宝庫です。暗殺事件について、特にアメリカの読者にはこれまで提供されていなかった新たな視点を得ることは、常に興味深いものです。そのなかでも、小池氏がまだ語学を勉強し、アメリカのスラングに慣れようとしていた当時、警察の捜査やダラスでの生活についての小池氏の印象は特に興味深いものでした。彼の観察は的確で、事件の真相と見事に一致していました。長年の歳月を経て、彼の目を通してこの事件を目の当たりにできたのは、大変喜ばしいことです」

 本記事が公開されたと同じ日、アメリカ時間午後12時(日本時間11月22日午前2時)にマイヤーズのブログ「jfkfiles.blogspot.com」でも小池の活動が紹介される予定で、そこではダラス署内外での小池の活動の多くの画像が紹介されている。

 ケネディが暗殺され、日本人記者の小池英夫が現地ダラスで取材し、オズワルドの記者会見と殺害現場に居合わせその模様を一面ぶち抜きでスクープしてから62年が過ぎた。その小池は1996年に死去していた。しかし、彼が遺した貴重な回顧録は、いまなお、ケネディ暗殺について、研究者に新たな発見と視点を与えているのである。

前編】では、ダラス署で小池が間近にしたオズワルドの印象について記している。

奥菜秀次(おきな・ひでじ)
ケネディ暗殺の1963年生まれの62歳。著作は日・台・米で出版されている。週刊新潮に寄稿多数。代表作『陰謀論の罠』(2007、光文社)、『アメリカ陰謀論の真相』(2011、文芸社)、『捏造の世界史』(2008、祥伝社)。最新作は構想48年執筆14年の大作『ケネディ暗殺最後の真実:歴史上最悪の捏造事件の内幕と全ての真相』(全五巻中、三巻まで刊行済、パブファンセルフ、2024~)

デイリー新潮編集部

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