「少女を模したラブ・ドールを違法販売」 大炎上の「SHEIN」パリ出店、32歳社長が語った思い 「多くの批判があるのは事実ですが…」
創業時のエピソード
中高年のあずかり知らぬうちに若者に定着したSHEINについて、元産経新聞中国総局記者でジャーナリストの福島香織氏が語る。
「創業は08年です。創業者の許仰天(クリス・シュー)は極度にメディアへの露出を嫌う人物でした。1984年、中国山東省の貧しい村の生まれで、苦学して大学に行き、卒業後、江蘇省南京市の貿易会社に入社したといわれています。そこで1年ほど修業してeコマース(電子商取引)のノウハウを覚えて独立し、同市でSHEINの前身となる会社を始めたのです」
創業時の有名なエピソードがある。中国製のウェディングドレスが米国では数倍の価格で売られているのを知り、中国で生産した商品を中国国内の価格のまま米国で展開するアイデアを思い付いたというものだ。
「SheInside(シーインサイド)というウェディングドレスを中心としたeコマースサイトがうまくいって、12年ごろから現在のような女性向けのアパレル全般に商品の幅を広げました」(同)
15年にサイト名をSHEINに変更。相前後して、本部をアパレルの下請け零細企業が集中する広東省広州市に移した。
「当初は卸売市場に並ぶ衣類を撮影し、サイトに掲載。注文が入ってから実際に商品を仕入れる手法で、売り上げを伸ばしていったという話です」(同)
驚異の廃棄率
転機は19年から3年間続いたコロナ禍だった。
「世界的に移動制限がかかり、実際に店舗を展開するアパレルブランドが軒並み苦しむ中、ネットショッピングに特化したSHEINの収益は増大していったのです」(福島氏)
こうして19年の31億ドル(約4900億円)から23年には325億ドル(約5.1兆円)へと、わずか4年で10倍を超える売上増を達成したのである。
中国経済に詳しいジャーナリストで千葉大学客員教授の高口康太氏が言う。
「SHEINは在庫ロスを少なくすることで価格を抑えるのに成功しました。廃棄率は3%。これは驚異的です。アパレル業界では廃棄率は30%から50%といわれていますから」
低価格の理由はほかにもあって、
「少額の輸入品への関税などを免除する『デミニミス・ルール』という制度を使って、輸出した商品にかかるはずの関税を抑える方式を編み出したのは画期的でした。ただし、米国をはじめ各国は同制度の廃止・見直しを進めています」(同)
後編【「子ども用衣類からホルムアルデヒド」「下着から発がん性物質」 本当に「SHEIN」商品を購入していいのか 専門家が警鐘】では、SHEINで販売される商品の危険性などについて詳しく報じる。




