実はクマ被害より怖い「ハチ刺傷」に「交通事故」 決して多いとは言えない死者数に人びとが怯える理由(古市憲寿)

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 クマ被害のニュースが列島を騒がせている。連日、目撃談が報じられ、盛岡市などでは中心市街地にも出没しているという。クマが怖くて東北旅行を断念したというような話も聞く。

 クマ被害とテロは似ているなあと思う。実際の被害よりもあまりにも大きなインパクトを社会に与えているのだ。調査によれば、2024年度にクマに襲われて死亡した人は3人、今年度はすでに10人を超えていて、過去最悪の数字になっている。

 確かにクマに殺されたい人はいないだろう。吉村昭の名作『羆嵐(くまあらし)』にはクマの恐ろしさが克明に描写されている。クマは怖い。それは確かである。だがポイントは何と比べるかだ。

 日本の死者数は年間約160万人。高齢者が病気で死ぬケースが圧倒的に多い。病気を除くと、自殺者が約2万人。交通事故による死者数は2663人(2024年)。ハチ刺傷による死者は20人前後。このように死因を冷静に見ていくと、クマによる死者は決して多いとは言えない。むしろ少ない。

 本気でこの国の死者数を減らしたいならば、まずは自動車を禁止すべきだ。クマよりも桁違いに人を殺しているのである。だがそんな議論はほとんどない。それどころか通常の交通事故はメディアでもほとんど取り上げられない。交通事故という「当たり前のこと」に人々は関心を示さないからだ。「News」というだけあって、もっぱらメディアは「新しいこと」を報じがちである。

 テロも社会に大きな衝撃を与える。特に総理大臣や大統領のような象徴的な人物が標的であれば、たった一人の犠牲で社会は大きく動揺する。それをテロリストは利用するわけだ。二・二六事件で暗殺された要人は4人だが、それが日本の歴史を少なからず変えてしまった。安倍晋三元首相の暗殺も同様である。

 社会がテロを脅威と見なすのは、感情移入の問題も関係している。今でも世界各地で戦争が続くが、見知らぬ国で、見知らぬ人が何百人死んだところで、心からショックを受ける人は少ないだろう。しかし日本のどこかで数十人が死ぬような事件が起きれば、ニュースから目が離せなくなる。それは自分にとって近い出来事だからだ。

 さて、クマの話題に戻る。テロと一緒で「死亡者数だけ見れば交通事故はもちろん、ハチ被害よりも少ないから冷静になりましょう」と言っても意味はないのだろう。「怖いものは怖い」と言われて終わりだ。しかもクマは絵になるものだから、メディアも取り上げやすい。しばらく報道は過熱し続けるだろう。

 クマが市街地に来るようになったのは、シカの大量増殖により、山の餌が減ったことが一因とも言われる。ガバメントハンターや自衛隊などを活用しながら、生態系に介入する必要があるのだろう。ちなみにクマもシカも適切に処理すればおいしく食べられる。駆除した後、有効に肉を活用していく取り組みが進んでいけばいい。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2025年11月20日号掲載

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