維新・藤田共同代表の“あり得ないスピード出世”の背景 「体育会系気質で党内の人望はとにかく厚い」

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“あり得ない”スピード出世の背景

 大阪府寝屋川市出身の藤田氏は、筑波大学でラグビー部に所属し、大学卒業後は高校の体育講師として勤務。スポーツマネジメントを学ぶためにニュージーランドに留学したり、ベンチャー企業を設立したりしたのち、政界の門をたたいたのは2012年のことである。

 さる維新関係者が言う。

「この年、藤田さんは維新政治塾に1期生として入塾しています。同じ頃、『林英臣政経塾』という私塾にも参加しました。創設者で、松下政経塾の1期生でもある林英臣さんのことを、藤田さんは“人生の師”と仰いでいます」

 そして17年、満を持して衆議院選挙に出馬したが、

「この選挙では落選し、19年の補欠選挙で当選しています。現在は3期目で、議員になってまだ6年ほどですが、幹事長、そして共同代表へと上り詰めた。普通ではあり得ないですよ」(同)

 では、藤田氏はいかにして“あり得ない”スピード出世を成し遂げたのか。

 まず、彼が初当選を果たした時期の、維新の状況が追い風になっていたという。

「当時、維新は党として停滞気味で、衆議院議員はたった10人ほどしかいなかった。そこに若い藤田さんが加わったわけで、党としては彼を“期待の新人エース”と捉えていました。ネットメディアにも引っ張りダコでした」(同)

体育会系気質

 もう一つ、維新関係者が口をそろえるのは、経営者としての人心掌握術と、目的に向かってまい進する体育会系気質である。

「藤田さんには二つの顔があります。一つは、いつも笑顔でやさしく、誰に対しても丁寧に接する顔です」

 そう明かすのは、今年2月まで維新に所属していた沢田良・元衆議院議員である。

「もう一つは、最短ルートで目的を達成するために、感情を抜きにして結果を追求する知略家の顔です。彼が目的に向かってガンガン突き進めるのは、元ラガーマンの体育会系気質による面が大きいと思う」(同)

 付き合いのある自民党の代議士からも、藤田氏は二通りの評価を受けていた。

「“飲み会の付き合いが良くて、いつもお酒ばかり注がせて申し訳ない”と言う議員もいました。一方で、小林鷹之議員や齋藤健議員からは“藤田さんは頭がキレる”と評価されていた。齋藤さんが法務大臣だったときに会食をする機会を頂きましたが、齋藤さんと藤田さんはずっと実務的な話をしていて、感銘を受けたことがあります」(同)

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