男の子なのに“服はピンク”で“赤ランドセル”…母は「女の子のはずだった」 人妻に迫られて吐き気を覚えた40歳夫のトラウマ

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家族と決別するために

 それでも、「我が家がおかしい」とわかったのは収穫だった。それ以来、彼は家族への思いをきれいに立ちきり、勉強にいそしんだ。家族と決別するための勉学だった。

「それなりに偏差値の高い大学へ行きました。父に保証人になってもらってアパートを借りてのひとり暮らしを始めて、生まれ変わった気持ちだった。生活費はアルバイトでまかないました。主な収入は家庭教師でしたね。けっこういい収入になったんです。受験に関してはそれなりに自分のコツや哲学があったので、紹介が紹介を呼んで忙しく過ごしていました。合間に居酒屋でのバイトもしました。いろいろな人を見たかった」

 世間の人は母親と違って、常識的で優しかったと彼は真顔で言う。アルバイトをすることで、彼はようやく「世間」を知ったのだそうだ。

「あるとき、家庭教師をしている家で、生徒の母親に誘惑されたことがあって……。正直言うと怖かった。あのころ40代前半くらい、きれいな人でしたけど、有無を言わせず迫ってくる感じに母親を重ねてしまって、彼女を押しのけて逃げました。彼女の化粧品の匂いがずっと鼻について、それから2日くらい食べ物も喉を通らなかった。もう2度とその家には行きたくなかったけど、教え子のことを考えると行かないわけにはいかなくて。責任もありますから」

再びの“誘惑”

 その母親には数ヶ月後、また誘われた。誘われたというより襲われたと言ったほうが正しいと彼は口が重くなった。生徒は部活で遅くなると連絡があったものの、いつ帰ってくるかわからない。その状況でどうして家庭教師を襲えるのか、謙太郎さんには理解不能だった。彼の体がまったく反応しなかったため、母親は「私がオバサンだからなのね」と泣き出した。そのとき、生徒が帰ってきたので、彼は一緒に部屋に行って勉強を始めた。帰り際、母親は妙に濡れた目で見てきたが、彼はあからさまに目を逸らした。

「生きていくって大変だと実感した大学時代でしたね。それでもなんとか第一志望の会社に就職できて、ようやく自分の人生が始まると感じました。もちろん、社会人、特にサラリーマンには学生のとき以上の理不尽がふりかかってくるのだけど、上司や会社、そして自分自身ともなんとか折り合いをつけてがんばりました」

 いくつになっても、「愛されなかったこと」「母親に無視されたこと」などが心の奥に巣くっているのだろう、ときおり自分が他の人に比べてねじ曲がっていると感じることもあった。本当はトラウマなのにトラウマと意識せず、強がっていることを自分でもわかっていたが、自分を自分でねじ伏せるようにして生きてきたのだからしかたがないと思っていた。

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