「和田アキ子」はなぜ、批判されるようになったのか 「テレビ」が生んだ巨大なスターの終焉

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時代とギャップ

 彼女のキャリアを決定づけたのが、1970年代の伝説的バラエティ番組「金曜10時! うわさのチャンネル!!」(日本テレビ系)である。ここで和田は「ゴッド姉ちゃん」として、ハリセンを片手に共演者を追い回す豪快なキャラクターを演じ、乱暴者というイメージが広まった。この番組は、ドッキリ企画やリアクション芸の元祖とも言える存在である。

 そのイメージは悪い方向にも拡散していった。芸人たちが彼女の恐ろしさをネタにして、噂に尾ひれがついて広まることで、和田は実態以上に怖い存在として語られるようになった。実際には、後輩やスタッフへの気遣い、若者文化への好奇心、そして理不尽を嫌うまっすぐな姿勢が彼女の本質にあった。パワフルな芸風とは裏腹に、誰よりも懐の深い人物だったのである。

 ただ、時代は変わった。コンプライアンス意識の高まりとSNSによる監視の強化により、かつては許容されていた強い個性は批判の対象になりやすくなった。和田アキ子は本来、テレビという巨大装置の歯車の1つではなく、むしろ空気を作り出す側の人物だったのだが、時代が共感・優しさを求める方向へと転じていく中で、あえて強さを貫く彼女の芸風は徐々に時代とのギャップを生むようになった。最近、彼女が失言で批判を招いたりしていたのは、その変化を象徴している。

 和田アキ子とは何者だったのか。それは、テレビが最も強い力を持っていた時代を体現し、圧倒的な声と気迫で芸能界に君臨しながら、同時に後輩を守り、若者文化にも門戸を開き続けた稀有な存在である。テレビというメディアが生んだ巨大なスターであり、昭和・平成・令和を貫いて生き残った最後のモンスター的なタレントなのだ。

ラリー遠田(らりー・とおだ)
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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