【ばけばけ】北川景子演じるタエは例外でなかった…士族が次々と物乞いになった明治の恐ろしい事情
豪邸に住む奥方から路傍の物乞いへ
目撃したトキ(髙石あかり)同様、衝撃を受けた視聴者は多かったのではないだろうか。松江の街のある一角で、実母であるタエ(北川景子)が、地面にござを敷いて物乞いをしていたのだから。NHK連続テレビ小説『ばけばけ』の第6週「ドコ、モ、ジゴク」(11月3日~7日放送)。
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その数日後に街で出会ったタエの三男で、トキの実弟にあたる雨清水三之丞(板垣李光人)から聞き出したところでは、次のような話だった。
トキの実父である傳(堤真一)が病死してのち、タエと三之丞は屋敷も家財も売り払い、傳が機織り会社を経営してつくった借金を返し、安来(島根県安来市)の親戚を頼った。そこで三之丞は多少働いたが、タエから「雨清水家の人間は人に使われるのではなく、人を使う仕事に就きなさい」と苦言を呈され、働き口を失う。どうにもならずに松江に戻り、タエは物乞いになり、三之丞は「人を使う仕事」を探して、当然だが、見つからないままなのだという。
じつの母のあまりに衝撃的な零落。トキは、松江中学の教師でレフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)と同僚の錦織友一(吉沢亮)から、「ヘブン先生の女中になってほしい」と頼まれ、断っていた。だが、結局、オファーを受けることにしたのは、じつの母を助けるしかないと思ったからだった。
第7週「オトキサン、ジョチュウ、OK?」(11月10日~14日放送)でも、タエの物乞い生活は続いていた。トキは稼いだ金を三之丞に、死んだ傳から預かった金だと偽って渡したが、三之丞には下手なプライドがあって、自分で稼いだのではない金を母親に渡せないのだ。
第3週の途中まで、庭の広い豪邸で不自由なく暮らしていたタエが、これほど零落することなどあり得るのか――。そう思っても不思議ではないが、この時代には、それはあり得たのである。
純粋培養された士族の没落のし方
明治維新後、全国の旧藩は新政府の樹立に協力した側と、敗れた側に分かれたといっていい。松江藩は途中から新政府軍に恭順を示したものの、徳川家の親戚である親藩だったこともあり、態度が煮え切らなかったため、敗れた側と認識された。その時点で、新政府の重鎮たちの縁故はほとんど期待できなかった。
それでも、松江の士族たちが維新後にすぐに没落したわけではなかった。
江戸時代までの武士は、主君への奉公の報酬として「家禄」を受けとって暮らしていた。明治2年(1869)の版籍奉還(全国の大名が所有していた版=土地と籍=人民を朝廷に返還させた改革)後に、貴族階級である華族にならなかった者は士族になったが、しばらくは引き続き家禄を受けとった。
だが、家禄の支給が国家財政の重荷となったため、政府はまず明治7年(1874)から8年(1875)にかけ、士族の家禄奉還を受けつけた。希望者には家禄の支給を打ち切るかわりに、その6年分を半分は現金、半分は年8%の利子がつく秩禄公債として交付したのだ(家禄に維新功労者への賞典禄を合わせて秩禄といった)。続いて明治9年(1876)、秩禄処分が断行された。士族らに5~14年分の家禄に相当する金禄公債証書を発行するかわりに、家禄の支給は全廃された。
そこまではまだよかった。家禄を廃止するにあたり、政府は士族が就業するように促したが、それもまだよかった。問題はその後で、武士とはいわば礼節と武芸しかしらない種族であり、そんな彼らがいきなり事業に乗り出したところで、うまくやるのは至難の業だったのである。
士族たちは、受けとった公債をすべて、安易に事業に投じたり、誘いに乗って投機したりした。しかし、周囲には百戦錬磨の商人やら、老獪な詐欺師やらがうごめいており、純粋培養されてきた士族などひとたまりもない。こうして、公債を投じた士族の大半は短い期間にそれを失い、さらには家屋敷まで売却しなければならなくなってしまった。
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