埼玉「戸田一家四人惨殺事件」…マサカリで被害者をメッタ打ちにした犯人の“意外すぎる正体”
元警視庁警視の成智英雄氏は、著書『犯罪捜査記録 猟奇篇』(創人社)の中で、こう記している。
〈犯罪の蔭に性的問題が秘められているということは、千古不滅の原理に違いないが、それも近時は想像もつかない殺人が突発し、その捜査は証拠絶対主義という法律の壁にさいなやまされて難航を続け、迷宮入りが当然視される傾向さえうかがえる〉
それを克服するのは捜査指揮官の確率の高い推理であり、捜査員たちの汗と涙の集積だという。昭和の時代、刑事たちは靴底をすり減らして聞き込みを行い、情報をもとに検討を重ね、被疑者へたどり着いた。今回、紹介する事件は、埼玉県で起こった「一家四人殺し」。それも極めて異常な人格を持った犯人による凄惨な事件だった――。(全2回の第1回)
ステテコ姿の四人の刑事
トン、トン、トン――。
床を踏む音が、3回した。あらかじめ決めておいた合図だった。
「来たぞ!」
埼玉県警捜査第一課の警部補(当時43=以下同)は、コンビを組む埼玉県警蕨警察署の巡査(40)とともに、待機していた二畳の部屋で身構えた。もう一組、同じく捜査第一課係長(43)と蕨署の巡査長(43)は、別の場所で待機している。容疑者T(34)が戻ってきたら、この四人で取り囲み、事情聴取をすることになっていた。
昭和45年8月26日、午後7時50分。東京都大田区の国鉄(当時)蒲田駅西口にほど近い、簡易旅館の2階である。
白い半そでの開襟シャツに黒いズボンをはいたTは、刑事たちが待ち受けているとも知らずに、廊下の真ん中を歩いてくる。
次の瞬間、前後に二人ずつの刑事が、Tを取り囲んだ。四人ともランニングシャツにステテコ姿である。前にTを取り調べたことがあり、面ぐれ(顔見知り)でもある蕨署の巡査長が、背後から声をかけた。
「おいTちゃん、しばらくだな」
いきなりステテコ姿の四人組に囲まれたTだが、こんなところに俺を知っている人なんかいないはず……Tは不思議な思いで声の方を向いた。巡査長の顔を見ると、ぎょっとした表情を見せた。もう一人、やはりTとは面ぐれの巡査が声をかける。
「Tちゃん、こっちへ来いよ」
それまで待機していた二畳間にTを入れると、彼を座らせ、取り囲むように捜査員も腰を下ろした。狭い二畳間だ。暑さと熱気で皆、汗びっしょりだった。Tは正座した両手を軽く握りしめて膝の上にのせている。額から首にかけて汗が滴りおちてくるが、拭おうともしない。捜査員がハンカチで拭いてやると、少しだけ頭を下げた。
勝負をかけた取り調べが始まった――。
凄惨な現場
事件が覚知されたのは16日前の8月10日、月曜日のことだった。
〈十日昼すぎ、埼玉県戸田市の新興住宅街で、一家四人がまき割りのような鈍器で頭などをメッタ打ちにされ血だらけになって死んでいた。蕨署は殺人事件として特別捜査本部を置き、凶器の発見につとめる一方、現場のふとんに残された足跡を手がかりに犯人の割出しにつとめている。いまのところ恨みによる単独犯の仕わざとの見方が強い〉(朝日新聞 昭和45年8月11日付)
被害者はAさん(40)と妻Bさん(37)、そして長男(12)と二男(8)の四人。夫婦と二男は1階六畳間に敷かれた布団の上で、長男は隣の三畳間のベッドの下で発見された。玄関は内側から鍵がかかっており、三畳間の窓は半開きになっていた。現場は、慣れているはずの刑事でも、思わず「これはひどい」と顔をそむける惨状だった。
「長く殺しの刑事をやったが、あんな現場は見たことがないと述懐していました。被害者の擬固した血液で、部屋の中は真っ赤に染まっていました。四人とも頭を割られており、頭蓋骨が骨折していることが一目でわかったそうです」(担当捜査員を取材した元社会部記者)
もう一つ、捜査員の目に焼き付いた光景――それはうつぶせの状態で発見されたBさんが、死後に性被害を受けた痕跡が明白だったことだった。
一家四人を惨殺――事案の重大性に、蕨警察署に設置された捜査本部には、県警本部から捜査第一課をはじめ鑑識課、隣接する浦和・川口・朝霞の各警察署から派遣された捜査員も加わった。現場は17号国道新大宮バイパスから200メートルほど入った新興住宅地で、夜になると、人通りはほとんどない。
捜査本部では被害者および現場周辺の聞き込みを行い、目撃者捜しを進めるとともに、埼玉県警察機動隊から1個小隊(37名)の応援を求め、現場を中心に捜索を実施した。最優先すべきは凶器の発見である。
〈埼玉県戸田市の一家四人殺しの蕨署捜査本部は十一日(略)午後二時半、近くを流れるドブ川で長さ1メートルのまき割りを見つけた〉(朝日新聞 昭和45年8月12日付)
発見されたのは、マサカリだった。川に沈んでいたものの、錆びてはいないことから、捨てて間がないものと推定された。柄の長さ約1メートル、刃渡り5センチ、刃体は20センチで、被害者の傷跡と一致していた。ただ、水中にあったため鮮明な血痕は残っておらず、指紋検出も難しそうだった(後の鑑定で、血液反応はあったものの血液型の特定までは至らなかった)。
その後の捜査で、このマサカリは現場からさほど遠くない、Aさんの実家にあったものであることが判明する。
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