弟と義妹、甥がいなければ「ゴッホの伝説」は生まれなかった “幻”になりかけた早逝の画家を世界に押し出した力とは

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自画像を「まるで死神のような顔」

 会場にはゴッホが愛したものがいっぱい詰まっていて、「孤独」「狂気」「天才」といった今までゴッホに貼りついたキャッチーなフレーズが一瞬で風化して吹き去ってしまうほどだ。私の目に映るのは、愛したり、学んだり、創作したりでとても忙しそうにしているゴッホの姿ばかりだった。

《画家としての自画像》(1887年12月-1888年2月)は、この展覧会で主役級の作品だ。これはゴッホの息遣いを感じながらゴッホ自身と向き合える、観る側に興奮と緊張と喜びを抱かせる傑作である。

 会場は平日でも来場者が多く、とりわけこの自画像の前で足を停めてゆっくり見入る人は多い。このことを想定してか、解説文が作品から少し離れた壁に貼られている。

 落ち着いて読める。

 実はこういったさりげない配慮があちこちで感じられる展覧会だ。

 おかげでじっくりと読めたこの解説によれば、ゴッホ自身はこの自画像を「まるで死神のような顔」と評していたようだ。

 ところが実際にゴッホと会ったヨーは、まるで正反対の感想を持っている。

 ヨーが初めてゴッホと会ったのはゴッホが亡くなるほんの2ヶ月前だった。ヨーは夫のテオから、ゴッホが病気がちなことを聞いていたので、すっかり弱々しい男の姿をイメージしていた。なのだが実際目の前に現れたゴッホはがっしりとした体つきで、血色が良く、笑みを浮かべていた。そして毅然とした様子で、夫のテオよりよほど丈夫そうに見えたという。そしてこのキャンバスの前の自画像が、その時のゴッホの姿にとても似ていたという。

 改めてもう一度自画像の作品を見てみる。

 少し怖い気もする。

 死の気配を感じたゴッホは死へと向かい、生命力を見たヨーはゴッホを永遠に生かす仕事に取り掛かっていくのだ。

 ゴッホはヨーだけでなく、生まれたばかりの甥のウィレム(フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ)にも会っている。そして3日間テオの家族と一緒に過ごした。ゴッホはゆりかごに眠るウィレムの姿を、涙を浮かべながら見つめていたとヨーは回想している。

 夫のテオが亡くなったのは、結婚して2年も経たないうちだった。ヨーは自分ではどうにもならない力に押されて人生の方向をぐっと変えられてしまった。その後、ヨーがどのようにして立ち上がり、そしてゴッホを世の中に送り出す仕事に取りかかっていったのか。これはぜひ展覧会でゴッホの作品とともに味わっていただきたい。

 そしてヨーの次に物語のバトンを受け取ったのが、あの時ゆりかごの中で眠っていたウィレムだった。ウィレムはエンジニアとして自分の人生を歩みながら、ファン・ゴッホ美術館の設立まで粘り強くつなげていった。

 ゴッホの作品と出会う時、私たちはこの物語の延長線上にいる。

*本稿は展覧会図録『ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢』を参考に執筆した。

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