「“元気な遺族”の姿を犯人に見せて、“ざまあみろ”って言いたかった」 【名古屋主婦殺害】夫が26年間、人前で涙を見せなかった理由

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ディズニーランドにも2人

 出勤時も会社では事件前と変わらないように振る舞った。

「しょんぼりしていたら、事件で大変だったんだなとか、声かけた方がいいんじゃないかなと周りに気を遣わせるじゃないですか? だから事件後も普段通り。でもそれは子供がいたからじゃないかな。子供の前でお父さんが悲しそうにしていたらいかんと。子供は母親が殺されようが何しようが関係なく、遊びたい時は無邪気に遊ぼうと言ってくるし、親としてはそれに応えないといけない」

 仕事が休みの日は、航平さんを連れて2人で出掛けた。事件発生前、3人で行った東京ディズニーランドへも再び2人で訪れた。

「周りは家族連れが多いから、航平はお母さんがいたらなあと思ったかもしれません。でもそういう言葉は航平の口から聞いたことがないですね」

悲観的にならなかった息子

 航平さんは事件発生時に2歳だったため、事件どころか母、奈美子さんの記憶すらない。半年ほど経った頃、大学でカウンセリングを受け始める。普通の子供と違う言動があるか否かを診断するためだ。結果、問題はなかった。

 物心ついた時には、毎年のように取材を受ける父、悟さんの側で聞いていたため、事件については自然に記憶に刷り込まれていった。家で事件について悟さんからあらためて説明を受けたこともなく、「殺された母親の息子」として生きていくことにも、悲観的にはならなかった。航平さんはある時、取材にこんな本音を漏らした。

「気づいた時に母はいないんです。でもその代わり父や親戚のおばさんだったりが動物園やゲームセンターへ連れて行ってくれました。もちろん母がいるに越したことはないですが、いくら悲しんだところで戻ってこない。世間一般的には両親揃っているので、若干負い目みたいなのはあるかもしれません。でも僕は別に普通に生活をしてきたし、確かに母がいた方が生活は楽だったかもしれないけど、いない前提で育っているからそれでも幸せでした」

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