不倫の子を堂々と育てた母と、いつもビクビクするその息子…「僕はヘタレなんですよね」 55歳男性が“日和って逃げた”人生の2つの後悔
【前後編の前編/後編を読む】すべては「妻の更年期」から始まった… 55歳夫が肋骨&手首をへし折られ“出家” を考えるほどこじれた末路
今から38年前の1987年、『危険な情事』というアメリカ映画が話題になった。マイケル・ダグラス扮する既婚男性が、妻子が実家に戻っている間にグレン・クローズ演じる独身女性とパーティで知り合い、一夜をともにしてしまう。翌日、帰宅しようとすると、女は手首を切って自殺を図る。
【後編を読む】すべては「妻の更年期」から始まった… 55歳夫が肋骨&手首をへし折られ“出家” を考えるほどこじれた末路
そこから女の執拗な執着が始まる。彼は保身のために逃げまくる。そして妊娠したと告げた彼女は、彼にこう言うのだ。
「あなたの子を産もうとしている女に、少しは敬意をもったらどうなの?」
不倫の恋が揉める原因のひとつは、ここにある。逃げる男に追う女、女は彼の愛がほしいのではなく、「この恋がいい恋だった」と確認したいだけなのではないか。男から敬意が感じられれば、彼女は静かに去っていこうとするのではないだろうか。
僕もきちんと敬意を表していれば…
「『危険な情事』、オンタイムではなかったけど見ましたよ。女は怖いと思った」
金藤裕治郎さん(55歳・仮名=以下同)は、少し遠い目をして思い返すようにそう言った。彼自身、学生時代、女性にしつこくされた経験があったため、映画は他人事とは思えなかったそうだ。
だが、劇中で語られる「敬意」については記憶していなかった。
「敬意ねえ。僕もきちんと敬意を表していれば、こんなことにはならなかったんだろうなとは思います」
彼は60歳の定年退職を迎えず、1年後には退職する予定だという。中部地方の実家に戻り、80歳になる母と共に暮らすつもりだ。
「贖罪です。妻にも彼女にも敬意をもてなかった僕ができる唯一のことじゃないかと思っています」
母ひとり子ひとり…裕治郎さんの出自
裕治郎さんは母ひとり子ひとりで育った。母が愛した人には妻子があり、妊娠がわかったとたん男は逃げた。
「小さな町だったから、子どものころからいろいろ僕の出自に関する噂は聞いていました。だけど僕は母に確認することができなかった。母は、まじめで躾にも厳しくて、仕事もきちんとしていました。何よりいつも堂々と生きていた。そんな母が不倫の果てに子どもを産んだというのがどうにも信じられなかったけど、逆に言うと、そういう人がすべてを忘れて愛した人が僕の父親なんだと思うと、母をそうっとしておいがほうがいいような気がして」
母が堂々と生きている分、裕治郎さんはどこかビクビク生きていたという。いつも人の目を気にし、人の評判をさぐろうとしているような子だった。
高校に入学するとき、やっと母が真実を話してくれた。相手は東京で会社を経営するやり手の社長だったが、子どもだけは産まないでくれと頭を下げたそうだ。だが母は拒絶した。社長は姿を消し、出産後にまとまったお金が届けられた。
「そのお金には手をつけていないから、あなたが20歳になったら渡すと母はいいました。『僕がいたから、おかあさんは自由な人生を送れなかったんじゃないの?』と聞いた記憶があります。母は『バカね、逆よ。あなたがいなかったら私は生きていられなかった』と笑っていました。母が湿っぽい話をしたのはそのときだけ。いつでも毅然としていた。僕はヘタレなんですよね、そのときも泣きじゃくりましたから」
うれしいのか悲しいのか、母とふたりきりの生活がよかったのか恨んでいるのか、なにも判断できなかった。ただ、ひとりで子どもを産んで育てた母の大きさに、泣けてたまらなかったのだという。
「母に勧められて東京の大学に進学するために家を出たとき、『もう戻ってこなくていいから』とやはり笑っていた。僕はたぶん、お金持ちにもなれないし出世もできないだろうけど、母がいる限り、真っ正直に生きていかなければならない。そんなふうには思いました」
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