不倫の子を堂々と育てた母と、いつもビクビクするその息子…「僕はヘタレなんですよね」 55歳男性が“日和って逃げた”人生の2つの後悔

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ベッドから起きられない

 だが4年後、彼はとうとうベッドから起きられなくなった。体が鉛のように重かった。上司に連絡して1週間、休みをもらい、クリニックに行ったら「うつ病」と診断された。やっぱりと彼は納得したという。

「20代の若者なのに、毎日がまったく楽しくない。いつ笑ったっけと思うくらい。仕事がつらかったわけではなくて、ふがいない自分にうんざりしていた。仕事にやりがいを見いだせなかったし、覚えもよくなかったし押しも悪かった。当時、営業部に配属されたんですが、僕には無理だと思うことばかりでした」

 半年ほど休職したのち、彼は退職を決意した。そのとき手を差し伸べてくれたのが、同じ部署の3年先輩にあたる佳菜子さんだった。休職後、彼女はときどき連絡をくれていたのだが、あるとき「やめようと思う」と言った彼を心配して、家まで訪ねてきた。

「驚いている僕に、彼女は『ねえ、この近くにいい感じの喫茶店があるのを見つけたの。行ってみない?』って。休職中、最初の1ヶ月は入院していたんですが、その後は自宅療養。日々、うだうだと暮らしていました。そこへ彼女がやってきて誘い出された。外出は夜中のコンビニくらいなものだったのですが、無理矢理に近い感じで外へ出てみたら、少し気分がすっきりしたんです」

佳菜子さんの提案

 何を悩んでいたのか、何を苦しんでいたのか自分でもわからなくなった。「うつ」はある程度、よくなっていたのかもしれない。

「彼女が僕の家の近所で見つけたという喫茶店は、超レトロな感じでした。重量感のあるソファ、壁はすすけていたけど見飽きない油絵がかかっていた。自分が住んでいるところの近くにそんな喫茶店があるなんて知りませんでした」

 老夫婦がふたりきりでやっている店だった。マスターがいれたコーヒーは味わい深かった。「私はこういう喫茶店が好きで」と佳菜子さんは照れたように笑った。

「部署を替えてもらってもう一度、会社に出てきたらどうかなと佳菜子は言ってくれました。営業ではなく、たとえば商品企画とか。そのほうがあなたには向いていると思うって。

 僕自身、このままだとダメになると思っていたし、僕のうつ病は自分でも性格由来みたいな気がしていた。生き生きとできない自分がうっとうしかった。だから佳菜子の提案を素直に受け入れました。彼女は上司にかけあってくれたようで、その後、商品企画の部署に異動になって復職しました」

 適材適所、水を得た魚というのだろうか、佳菜子さんの見立て通り、彼にはその仕事が合っていたようだ。じっくり考え、企画を練る。少人数のチームでそれを商品にできるかどうか考えていく。チームリーダーの先輩は「ダメだと否定するのは簡単だけど、そうではなくて、どうやったら商品になるかを考えよう」というタイプ。大企業にはないアットホームな雰囲気と迅速な決断があったからこそ、彼のいるチームはヒット商品を重ねていった。

「大ヒットではなくても小ヒットが続くと、社内の目は変わります。僕自身も、仕事って楽しいと思えるようになった」

 そのきっかけを作ってくれた佳菜子さんと28歳のときに結婚した。誰よりも自分をわかってくれる女性に出会えた安心感から、彼は佳菜子さんに全幅の信頼を置いていた。

「佳菜子がいれば生きていける。そう思いました」

 結婚生活は「バラ色」だった。

 ***

 幸せすぎる結婚生活を送っていたはずの裕治郎さんに何が起き、「実家に戻って母と共に暮らすつもり」という事態を招いたのだろうか……。【記事後編】で詳しく紹介している。

亀山早苗(かめやま・さなえ)
フリーライター。男女関係、特に不倫について20年以上取材を続け、『不倫の恋で苦しむ男たち』『夫の不倫で苦しむ妻たち』『人はなぜ不倫をするのか』『復讐手帖─愛が狂気に変わるとき─』など著書多数。

デイリー新潮編集部

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