日本初ノーベル賞「湯川秀樹博士」 妻・スミさんが「悪妻」と呼ばれながらも支えた“引っ込み思案で繊細な天才”
母は難しい部分を引き受けていた
素顔の秀樹氏が“神様”でも“雲の上の人”ではなかったことは、兄の貝塚茂樹・京大名誉教授も詳らかにしている。
〈「湯川が偉いというのは世間がいうだけで、兄弟から見ればみな平等。兄として湯川にもっといろいろ注意しておくべきこともあったと思う。が、人に忠告するというのは難しいね。あまり偉くなりすぎた弟をボロカスにいうのも、なんでしょう?」〉(「週刊新潮」1981年9月24日号)
天才だが、引っ込み思案で繊細な秀樹氏。京大名誉教授・上田正昭氏の言葉からは、そんな夫を守り続けていたスミさんの姿が浮かび上がる。
〈「湯川先生はスミさんを信用して任せていた。スミさんはまっすぐな人で、世間知らずのところもありました。悪口に加え、先生の知名度を利用する人が寄ってきて、苦労もしています」〉(「週刊新潮」2006年6月1日号「墓碑銘」)
昭和56年9月に秀樹氏が74歳で亡くなるまで、スミさんは6年半の看病を続けた。秀樹氏が看護婦を拒否したため、スミさんがトイレの世話も引き受けていたという。そんな母の姿を見ていたのは、長男で近世演劇研究家の湯川春洋氏。
〈「十人十色の見方はあるでしょうが、母は父を煩わせないために、難しい部分も引き受けたのだと思います」〉(同)
晩年は車いす生活となったスミさんだったが、活動は衰えなかった。
〈「昨(2005)年8月に胃がんとわかりましたが、体力的に手術は難しかった。それでも最期まで自らを貫いた満足の一生だと感じます」〉(同)



