「苦しみは全て家族のせい。皆殺ししてしまおう」 「ボーガン4名殺傷犯」が親族に抱いた“身勝手すぎる憎悪”の中身 「母は自分をアピールするために私を使い…」
否定の言葉
法廷で読み上げられた陳述書は母親、弟、祖母に対する否定の言葉が並んでいた。まず母親に対してはこうだ。
「子供の頃から母は、母としての自分をアピールするために子供を使う。頑張っていることを示すための道具としてしか扱われていない。母から愛情を十分に受けていない。周囲に対してシングルマザーとして頑張っているというアピールをして、人一倍苦労している素振りをしていた。子育てらしい子育ては何もしていない。母から教わったことは何もない。話し方、しつけ、何一つ母から教わっていない。そのくせ周りにいい顔をする。幼い頃、母は弟ばかりをかわいがり、きょうだいのように接し、私には当たりが強い。私への処遇は買うものの量や質、食などに明確な差があった。私にはほしいものが与えられず弟にはすぐに買う……」
中学生のころにひとり実家を出たのは、強迫性障害を発症したことがきっかけのようだ。「全ての原因は母親だと思った。死のうと思ったが、死ぬのは簡単で、いつでもできる。それよりも改善したい。前向きに頑張ってみよう。この家にいるとどんどんおかしくなる」と、精神的に限界だったと振り返る。
そんな被告を受け入れ、共に暮らしてきた祖母については「被害妄想が激しい」と断じ、こう続ける。
「いつも自分だけが苦労していると頻繁に言う。責められると言い逃れをして逃げる。私にもよく嫌がらせをして、やめてくれということを頻繁にわざとらしく繰り返した。家で私はルールを設けていた。部屋のノックは何回で、返事がないと入らないように、私が部屋にいない間は入らない、トイレに入っている時にドアを開けない、など。しかし祖母はわざとらしくルールを破り、私が文句を言うと、ため息をつき『もういいわ、はいはい、次からしないから。なんで私ばっかり怒られなあかんねん』などと言う……」
人生に希望が…
そして母親から目をかけられていたという弟については、こんな調子だ。
「幼い頃から争いごとがあると、私が悪いように母や周りに言いつけていた。ちょっかいをかけてきて、やり返すと母親に『あいつが先にやってきた。お前が弁償しろ』と母に要求していた。幼い頃からそういうところは変わっていない。私に潔癖の症状が出て困っているとき、わざと嫌がることをしてきた。先に風呂に入りたいのに、張り合うように先に入ろうとしたり、私の風呂上がりの体に触れようとしてきたり、喧嘩しようとしたり、嫌がることをワザとしていた。母に言っても『知らんやん。自分で解決しいや』と言われる……」
そんな不満だらけの家族との暮らしで、野津被告は人生に希望が持てなくなったという。陳述書はこう続く。
「弟とは、ちょくちょく部屋に来て話すこともありましたが、意思疎通に難があり、祖母と母とは全くコミュニケーションが取れず、話が合わない。不都合なことがあると、違う話題に逃げていく。そもそも注意を受け入れる気がない。こっちの思う通りに理解させて行動させるのが無理。都合のいいようにしか言葉を理解しようとしない。まるで相手に向き合おうとしないから話が余計意味の分からない方向に向かっていき、そういう日常が日々ストレスだった。伯母が来ると4対1となり、自分だけが違うという疎外感があった。こういう人間に囲まれて生活していると、だんだん死にたいと思うようになっていったのです」
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