【ばけばけ】トキのモデル「小泉セツ」が西洋人に抵抗感をいだかなくなった2つの決定的な体験
ヘブンと握手してなにかを感じたトキ
婿として松野家に迎えられた銀二郎(寛一郎)が、思った以上に厳しい借金と、祖父の勘右衛門(小日向文世)の厳格な指導に耐えきれず出奔。妻のトキ(高石あかり)は銀二郎を連れ戻しに松江から東京まで行ったが、松野という「家」に戻ることを拒まれ、トキはひとり松江に帰った――。
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NHK連続テレビ小説『ばけばけ』の第4週「フタリ、クラス、シマスカ?」(10月20日~25日放送)でこうして描かれたのは、明治20年(1887)のできごとだった。第5週「ワタシ、ヘブン。マツエ、モ、ヘブン。」(10月27日~31日)までのあいだには、3年前後の空白がある。明治23年(1890)、22歳になったトキは天秤棒を担いで、宍道湖名物のしじみを売り歩いていた。
ある日、しじみの得意先である花田旅館主人の花田平太(生瀬勝久)が、「明日、松江に異人が来るんだわ」といい出した。島根県知事の江藤安宗(佐野史郎)が、松江中学校の英語教師に西洋人を招聘したのだという。そして、その日である8月30日がきた。多くの人が押しかけての大歓迎のなか、レフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)が船から松江の地に降り立った。「カミガミノクニ、マツエキテ、ウレシイ、ケン」と日本語で挨拶すると、群衆は大喝采で迎え、そのなかにいたトキはヘブンの前に出て、しっかりと握手した。トキはその手になにかを感じたようだった。
しかし、2人が親密になるのは翌明治24年(1891)2月以降、ヘブンが暮らす家でセツが面倒を見るようになってからである。
20年前にも松江に現れていた西洋人
ところで、『ばけばけ』ではレフカダ・ヘブンは、松江の地がはじめて受け入れた西洋人であるかのように描かれており、だからこそ大騒ぎになったという設定だが、じつは、史実においては、ラフカディオ・ハーンは松江を訪れたはじめての西洋人ではなかった。
ハーンに遡ること20年、廃藩置県の前年である明治3年(1870)には、松江はすでに西洋人を受け入れていた。松江藩が軍制をフランス式に改めるために、ベリゼール・アレキサンドルとフレデリック・ヴァレットという2人のフランス人を招聘していたのである。アレキサンデルはもともとフランス公使館の医師として来日し、松江ではフランス語のほかに医学、化学などを教えた。また、ヴァレットは砲兵軍曹として来日し、松江でも砲術の訓練を行った。
ただし、廃藩置県が断行されたために、2人とも予定より早く松江を去ったが、トキのモデルである小泉セツは、幼いころにこのヴァレットと会っている。そして、その出会いが彼女にとって特別なものであった旨を、のちに『幼少の頃の思い出』(ハーベスト出版)にみずから書き記している。その部分を以下に引用しよう。
「明治の何年であるか今一寸わからぬけれども何でも私の身体がよほど小さい、地の上一尺ほどの小ささであった様に思われるが、たぶん五つ六つ位であったろうかと思われる。その頃ワレットという唐人(仏人であったそう)が来て調練という事が始まったある日、私は母上に連れられて親類の人々と一緒にその調練と唐人を見に行った。(中略)そうする内に私のいるすぐ前に唐人が来た。赤い髪の毛で丈が高いので驚いて見上げていた。私に並んでいた信喜代という四つ上の親類の男の子は、こわがって声を上げてお祖母さんにしがみ付いた。私は少しもこわいと思わなかった。ただ目を見張ってあきれて見上げていた」
どうやらセツには、最初から「外国人アレルギー」がなかったようなのだ。
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