【ばけばけ】トキのモデル「小泉セツ」が西洋人に抵抗感をいだかなくなった2つの決定的な体験

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西洋人に対する深い厚意

 引用を続ける。

「その時にその唐人は何だか言って、笑って私の髪の毛を撫でた。私はやはり唐人の顔を見ていた。そうすると大きなその人の手が私の手に来て何だか持たせた。私は非常に嬉しくてそれをもらった。ただぼんやりあっけに取られて、その人の後ろ姿を見送った。(中略)その唐人はワレットであった。私がもらったのは小さい虫眼鏡であった。その虫眼鏡は日本にはない非常に良いものだという事を、お父さんやお母さんが話し合った。そして自分達がしまっておいてやると申されたが、私は渡す事をこばんだ。私はその眼鏡を喜び、またその眼鏡をくれた唐人は非常に良い人だと思った」

 慶応4年(1868)2月4日生まれのセツは、このときまだ2歳、数えでも3歳だったはずである。しかし、「三つ子の魂百まで」とはよくいったもので、ヴァレットから虫眼鏡をもらった体験が、彼女に大きな影響をあたえたというのだ。

「皆が唐人はこわいと思っているらしかったが、泣いた信喜代は馬鹿だなとその後思うようになった。ワレットは出雲に来た初めての異国人であったであろう。その人から小さい私が特に見出されて進物を受け、私が西洋人に対して深い厚意を持った因縁になったのは、不思議であったと今も思われる」

 そして、セツはこう記すのである。

「私がもしもワレットから小さい虫眼鏡をもらっていなかったら、後年ラフカヂオ・ヘルンと夫婦になる事もあるいはむずかしかったかもしれぬ」

 こうして「三つ子の魂」のおかげで、セツはハーンを自然に受け入れることができた。このエピソードは『ばけばけ』でも紹介したほうが、トキとヘブンが結ばれることへの、視聴者の違和感を払拭できたのではないかと思う。

「相手は異人さんかもね」

 年ごろになってから、ひとつ重要な体験をしている。松江市の郊外(松江市佐草町)にある八重垣神社の占いである。ここは素戔嗚尊が八岐大蛇から稲田姫を救い、2人が結ばれたと伝わる場所で、出雲の縁結びの大親神として知られる。とくに裏手の森のなかにある鏡の池は、稲田姫が八岐大蛇から逃れて隠れ、その水を飲んだと伝わる池で、遅くとも明治時代からは縁占いが盛んだった。

 占いの方法は池に紙を浮かべ、その上にそっと硬貨を載せるというもので、次のように判定する。早く沈めば縁が早く、遅く沈むと縁が遅い。また、近くで沈むと身近な人と縁があり、遠くで沈むと遠方の人と結ばれる。

『ばけばけ』でも、第1週「ブシムスメ、ウラメシ。」(9月29日~10月3日放送)の最終日から、第2週「ムコ、モラウ、ムズカシ。」(10月6日~10日放送)の初日にかけて、トキが友人2人を八重垣神社に誘い、この占いに挑戦した。だが、2人の友人の紙はすぐに沈んだのに、トキの紙は池の向こう岸まで流れても沈まず、彼女はショックを受けた。

 このエピソードは実話にもとづいている。セツのひ孫の小泉凡氏は『セツと八雲』(朝日新書)にこう記す。「連れ立って行った友だちの紙は、ほどなく沈みました。セツの紙は浮かんだまま池の対岸近くまで漂い、ゆっくりと沈みました。その様子を見ていた友だちにこんな風にはやされます『セツさんは、きっと遠くへお嫁さんにゆくのでしょう。もしかしたら、お相手は異人さんかもね』」。

 幼少期にヴァレットから虫眼鏡をもらった体験があり、西洋人に「深い厚意」をいだいていたところに、占いをしても「お相手は異人さんかもね」といわれる。西洋人が身近な時代ではなかっただけに、セツは自分と西洋人との特別な縁を感じたかもしれない。

香原斗志(かはら・とし)
音楽評論家・歴史評論家。神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。著書に『カラー版 東京で見つける江戸』『教養としての日本の城』(ともに平凡社新書)。音楽、美術、建築などヨーロッパ文化にも精通し、オペラを中心としたクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』(アルテスパブリッシング)など。

デイリー新潮編集部

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