「日本では牛馬のごとく重労働が課され、国民に自由など皆無」…日本に潜入した北朝鮮スパイが“本国の教え”を疑って自首することも 「日本警察VS北朝鮮」昭和の諜報戦

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 北朝鮮にとって、日本は格好の「特殊工作の舞台」だった。スパイ防止法もなく、言葉や生活習慣の問題をクリアすれば、街に紛れ込んで生活するのも苦ではない。しかし、日本に潜入した北朝鮮スパイたちを待ち受けていた運命はどのようなものだったのか……昭和の激動期に水面下で繰り広げられた、日本警察vs北朝鮮スパイの壮絶な闘いをひも解く。(全2回の第2回)

日本は対韓工作の主要舞台だった

 昭和43年2月10日の朝日新聞(夕刊)に〈日本を舞台に対韓スパイ〉という見出しの記事が載っている。兵庫県警外事課が調べていた韓国人6人、日本人2人のグループが、日本を舞台に、北朝鮮に対する組織的なスパイ補助工作を行っていたことが分かった、という事案を伝えている。

〈これまでに分かったのは(1)このグループは北朝鮮の情報将校に指導されている(2)北朝鮮の対韓スパイ用品の収集を任務とし、グループは北朝鮮との連絡係、収集係、運搬係などに分かれ、完全に組織化されたものである――などで、グループぐるみの韓国に対する北朝鮮スパイ補助工作員がつかまったのは、戦後初めてと同県警はいっている〉

 昭和39年暮れから逮捕される同43年まで、このグループが北朝鮮にスパイ用品として密輸出した物は、韓国通貨392万5000ウォン(日本円で約510万円*当時)、日本円350万円、韓国の観光映画21巻に加え、

〈韓国の道民証、韓国男女の四季の衣服などである。(略)このほか韓国軍服、階級章、特務隊証明書、鉄道服、警察の制服警察手帳を集めるように指示されている。とくに北朝鮮側は、韓国軍服を非常にほしがり、去年暮れごろから(容疑者に)矢のように催促し「軍服が手にはいったら、それだけでもよいから運んでこい」と指示していたという〉

 兵庫県警の捜査では、実際に韓国軍服が密輸出された事実はないとみているが、周辺捜査で、グループのメンバーが韓国軍服を持っていたことがわかっており、何らかの入手ルートがあった可能性が高い。また、観光映画は、韓国に潜入させるゲリラに見せて、国内事情を学ばせるためのものだった。

〈日本が北朝鮮の対韓工作の舞台に使われたことについて、県警外事課は(1)日本を中継にすると、合法的な貿易を装うことができ、安全である(2)日本にはスパイ犯罪を直接取り締まる法律がなく、工作員の危険性が少ない――などをあげている〉

 主犯格の供述によると、日本ではいつも誰かに監視されていたという。兵庫県警は、こうしたグループをさらに監視する、別の北朝鮮スパイの組織があったとの見方をしている。

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