「日本では牛馬のごとく重労働が課され、国民に自由など皆無」…日本に潜入した北朝鮮スパイが“本国の教え”を疑って自首することも 「日本警察VS北朝鮮」昭和の諜報戦
潜入工作の次は……
日本警察が北朝鮮スパイ対策で重要視したのが土台人(北朝鮮に身内や親せきがいる在日朝鮮人)だった。
スパイが上陸した際に補助工作員を担うケースが散見されたことから、これは怪しいとにらんだ人物の動向を日ごろから注視。見慣れない人物との接触が確認されると、すぐに秘匿追尾を繰り返し、交友・人間関係を追い続けて詳細なチャートを作り上げていった。
また、元山や清津など、特殊工作船の基地があると見られていた港から、日本へ向けて「工作船」らしき船が出航した際は、在日米軍から非公式に衛星情報が伝えられており、日本海を管内に持つ秋田、山形、新潟、富山、石川などの各県警は少ない人員をやりくりして警戒任務にあたっていた。
実際、上陸したての工作員を職務質問で検挙した事例(昭和48年8月5日、山形県警)もある。深夜零時に国道を歩いていた3人組は、こんな夜中にどこへいくのかという警察官の問いに、
「青森から歩いてきた。これから(山形と新潟県境の)鼠ケ関に海水浴に行く」
と答えた。マニュアル通りの回答だったのかもしれないが、夜中に海水浴はない。そこで同行を求めたところ、突然暴れ出し、一人は逃走。二人は逮捕された。
こうした地道な検挙から工作の手口を聞き出すことと、マークした周辺人物への内偵、秘匿追尾、周辺情報収集など、決して表には出ない地道な捜査の積み上げで、北朝鮮スパイは次々と検挙されていった。
北朝鮮が日本を舞台にした特殊工作で用いた新たな工作――それは、昭和52年9月19日に石川県で発覚する、「日本人拉致」である。
【第1回は「捜査員に囲まれた“北朝鮮スパイ”が『バッグの中にあるタバコを吸いたい』と懇願した理由…ラジオを通じて『暗号指令』が飛び交った『北朝鮮』特殊工作の実態」壮絶な北朝鮮スパイと日本警察の戦い】




