「目的を遂げるためには、世話になった人の恩を顧みない」 高市早苗氏が公明党を激怒させたウラ事情 「裏では公明党や学会のことをボロクソに」
「目的を遂げるためには、世話になった人の恩を顧みない」
その因果が巡ってくるのが、2003年の衆院選。選挙区で民主党の馬淵澄夫氏に惨敗、比例復活もかなわず落選の憂き目を見たのだ。
「奥野先生の後援会、公明党・創価学会などが反発したことが敗因でした。高市氏の行動を振り返ると、自らの目的を遂げるためには、世話になった人の恩を顧みない。『マキャベリスト』と言ってよいかもしれません。でもそれは日本人の穏やかな気質にそぐわない面がある。だから結末でくじけてしまうことが目立つのではないでしょうか」(石崎氏)
この落選期間中に旧自由党からの同志、山本拓代議士(当時)と結婚。後に離婚し、再び山本氏と結婚。一方で、森喜朗元首相や安倍晋三元首相などのバックアップを受け、着実に権力の階段を上っていった。
その安倍元首相が奇しくも高市氏の地元・奈良県で遊説中に銃撃され死亡したのは22年7月。この事件の余波は収まっておらず、
「自民党の奈良県連の関係者の間では、“安倍さんを奈良に呼んだのは誰なのか”を巡って責任のなすりつけ合いが続いています」(奈良県議会関係者)
「真面目でまっすぐ過ぎる」
この事件後、高市氏が会長に就任してからも奈良県連は一枚岩とは言い難い状態のままで、
「23年の奈良県知事選では高市氏の子分で総務省の元官僚の平木省氏が突然、出馬を宣言しました。高市氏はいつも、いきなりコトを起こす。これに自民党の奈良県連関係者の一部が反発。当時、現職知事だった荒井正吾氏に対して、出馬を諦めないよう説得したのです。で、結局、平木氏も荒井氏も出馬することになって維新の山下真氏に知事の座をさらわれ、高市氏は大恥をかきました」(前出の関係者)
こうした経緯があるため、総裁就任後も党内からは、
「奈良県連すらまとめられない人が自民党をまとめられるわけがない」
との声が聞こえてくる。
「高市さんと長年付き合いのある人間として、一つ心配なのは、彼女が真面目でまっすぐ過ぎる人であるという点です」
そう語るのは先の米田氏。
「政治というものは、意見の違う人間や、良い人も悪い人もすべてうまくまとめ上げていかなければなりません。総理総裁には、全体をハンドリングすることが求められるのです」
政界全体が流動化する中、彼女の真面目さは吉と出るか凶と出るか……。
前編【「門の前でキスしてから塾に」 高市早苗氏の“型破り”過ぎる松下政経塾時代 「バイクにツナギ姿で1次面接に現れ、しかも遅刻していた」】では、大学卒業後に松下政経塾に入り、政治家を志すまでの高市氏のエピソードについて紹介している。
[3/3ページ]

