「目的を遂げるためには、世話になった人の恩を顧みない」 高市早苗氏が公明党を激怒させたウラ事情 「裏では公明党や学会のことをボロクソに」

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【前後編の後編/前編からの続き】

 自民党の高市早苗総裁(64)は21日、衆参両院の首相指名選挙で第104代首相に選出された。彼女はいかにして権力の階段を上り詰めたのか……。

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 前編【「門の前でキスしてから塾に」 高市早苗氏の“型破り”過ぎる松下政経塾時代 「バイクにツナギ姿で1次面接に現れ、しかも遅刻していた」】では、大学卒業後に松下政経塾に入り、政治家を志すまでの高市氏のエピソードについて紹介した。

 民主党の有力女性議員のスタッフとして働いていたアメリカから帰国後に松下政経塾を卒業し、テレビ番組のキャスターとして活躍していた高市氏が挑んだ最初の選挙は1992年の参院選。自民党の奈良選挙区では、服部安司参議院議員(当時)の三男、服部三男雄氏も出馬を目指していた。どちらも後に引かず、後腐れなく公認候補を決めるため、当時珍しかった予備選挙が行われることに。その時“県連の拡大役員会メンバーで決しよう”と裁いたのは、県連会長に就いていた奥野誠亮元法相だった。

「予備選に臨むにあたって、奥野先生は『負けた方は参院選には立候補しない』ことを求め、さらに『敗者は本選挙で協力する』と二人に確約させました。結局、予備選は服部氏の圧勝でした」(奥野元法相の秘書を務めていた石崎茂生氏)

 しかし高市氏はその結果に納得しなかった。

「県連事務局は選挙事務の運営に瑕疵(かし)がないよう、細心の気を配っていましたが、彼女は、不在者投票や有権者名簿の扱いなどが『アンフェアだった』とクレームをつけたのです。結局、高市氏は約束をほごにして無所属で立候補。奥野先生は本選の応援演説で高市氏のことを『不義の人』と批判しました」(同)

 この選挙の際、高市氏を支援したのが、81年から93年まで奈良県議会議長を務めた「奈良県政のドン」浅川清氏系の県議会議員らだった。

「高市があそこまでいったのは浅川さんのおかげってのが半分はあるで」

 浅川氏の側近だった元奈良県議の出口武男氏は、

「あの時、俺は浅川さんを止めたんや。『やめとけ』言うて。高市は最初から国政に行きたかったけど、金がなかったからな。それでも浅川さんは高市に『ええ格好さしたろ』って……」

 と、振り返る。

「高市としてもいろんなところに顔が利く浅川さんつかんどいたら損せえへん。高市があそこまでいったのは浅川さんのおかげってのが半分はあるで。それぐらい浅川さんが入れ込んどった。けれど、浅川さんは高市と二人でメシには行かん。誰かにヘンなこと言われたらかなわんし、浅川さんは嫁さんが怖かったからな。料理屋に行く時はいつも俺と浅川さんと高市の三人や」

 高市氏と浅川氏の関係について、浅川氏の息子の浅川清仁氏に聞くと、

「父が熱心に応援していたのは間違いありませんが、父の時代のことは私には分かりません」

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