「目的を遂げるためには、世話になった人の恩を顧みない」 高市早苗氏が公明党を激怒させたウラ事情 「裏では公明党や学会のことをボロクソに」

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「『高市早苗は俺の女だ』と競うように吹聴」

 高市氏と親しいベテラン奈良県政関係者はこう話す。

「当時、県会議員はみんな『高市早苗は俺の女だ』と競うように吹聴していましたからね。早苗ちゃんは、それをよく我慢して受け流したと思いますよ」

 結局、92年の参院選で敗北した高市氏は知名度を高めることに奔走し、翌年、中選挙区制で施行された最後の衆院選で初当選する。

「奥野先生も出馬していた奈良全県区から高市氏が出馬したのは、意趣返しの気持ちがあったのかもしれませんね。彼女は奥野先生らを抑えてトップ当選しました」(石崎氏)

 32歳にして国会の赤じゅうたんを踏んだ高市氏は、柿沢弘治氏が党首を務めた自由党を経て新進党の結党メンバーに。高市氏の当選同期で自由党、新進党と行動を共にした米田建三元衆議院議員が述懐する。

「当時の高市さんのイメージは明るく華やかで元気。最近は昔に比べて表情がきつくなったと思います。後に大臣を経験する当選同期のある議員は、本会議場で高市さんを見て、『久々にパッとした花のような女性議員が誕生した』と感心していました。古い時代の地味な女性議員と比べると、近代的な、普通の市民社会にいる美しい女性が国会に来たという感じでした」

「裏では公明党や学会のことをボロクソに言っていた」

 96年10月、初めて小選挙区制の下で行われた衆院選では公明党が一翼を担っていた新進党公認で出馬し、奥野元法相の元秘書・森岡正宏氏を破って2選。

「ところが当選後半月で高市氏は手のひらを返し、新進党を離党。自民党に移ったのです。そのため選挙で全面協力していた公明党・創価学会、特に婦人部から大不興を買いました」

 先の石崎氏はそう語る。

「新進党離党の表向きの理由は小沢一郎氏の『大減税』案への不信感からだと説明していましたが、信じる関係者は誰もいません。元々自民党に入りたかったのでしょう。この時の因縁が、今日に至る公明党・創価学会の高市不信につながっているのです」(同)

 件の選挙で高市氏と戦った森岡氏もこう話す。

「新進党は公明党と一緒にやっていましたが、高市さんはそこから自民党に移ったわけでしょう。公明党にしてみれば、いい気持ちはしてなかったと思いますね」

「不義」によって公明党を怒らせたわけだが、

「高市も表ではいい顔しといて、裏では公明党や学会のことをボロクソに言っていた」(高市事務所関係者)

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