結婚→離婚→再婚の「高市早苗」新総理が“夫に別れを切り出された夜” 「ずっと我慢してきた」「夫婦じゃなかったら楽になれる…」
落選の翌年の結婚
その高市氏が山本氏と結ばれたのは4年後、2004年のことだった。前年に行われた総選挙で高市氏は落選。比例復活も出来ず、浪人の憂き目を見、近大経済学部教授として政治学などを講じながら、復活を目指していた時だ。
「週刊新潮」2004年10月7日号の取材に彼女が結婚の経緯をこう明かしている。
「これまでも結婚したいと言ってきたんですが、政治以外のことを考える心のゆとりがなかったんです。でも落選の翌朝、母に“これは自分の幸せを考える絶好のチャンスよ”とハッパをかけられましたし、春先から“今年は結婚を考えていますので、良い方がいたらご紹介ください”とお願いしていたんです。5月にある会合でも“バツイチでもバツニの方でも結構ですからよろしく”とやっていたんです」
それを聞いた山本氏が彼女に電話。「バツイチですが、結婚相手に立候補しますよ」とプロポーズしたという。山本氏は福井を地盤とする自民党代議士。その前は自由党、新進党に所属していたこともあり、彼女とも旧知の仲だったのだ。
この電話に「突然でびっくりしました」と言う彼女。しかし、「(山本氏は)議員として先輩ですが、ぶっきらぼうで苦手でした。でも落選後、声をかけていただき、うちの秘書だった弟とFAXを引き取って下さって本当にありがたかったです。その上私まで引き取って下さるのか、と思うと、なんだか可笑しくって」
結婚を決意したというわけである。
権力の階段を上る
こうして本名「山本早苗」となった高市氏は2005年の選挙で赤絨毯に復帰。思想信条の近い安倍晋三氏が総理の座に就くと、2006年には沖北相として初入閣。2012年に発足した第二期の安倍政権では、政調会長、総務大臣を歴任し、権力の階段を上っていく。が、それと比例するように、夫婦間には危機が訪れていた。出世街道を邁進する妻とは逆に、夫の山本氏は、この間、農水副大臣を経験したのみと、くっきりとキャリアに差が出てしまったのである。山本氏は周囲に「嫁が大臣だから自分はなれない」「嫁さんが主で俺が従だからつらいよね」とこぼすこともあったという。
そして2017年、突然、高市氏は夫から別れを切り出された。高市氏本人が「週刊新潮」2017年8月3日号の取材にその場面を明かしている。
「2人で暮らしている議員宿舎で夕食が終わり、主人がテレビを見ている横で、私が洗濯機を回したり、アイロンをかけていたところ、突然、切り出されたんです。“ずっと我慢してきた”って。都議選に負けた後、党内で色々と意見が飛び交っていた頃合いでしたね。そんな時でも私が3年近く閣内にいるため、言いたいことも言えなかったようなんです。“勉強会を立ち上げるのも我慢したし、政策を考えても言えなかった”って」
突然の言葉に色を失った彼女。その後の流れはこんな具合だったという。
「話の流れの中で“夫婦じゃなくなったら、あなたはもっと楽になれるんだよね”って、私の方から先に言っちゃったのかな……それで、主人はドライですから、そのまま離婚届に判を押すことになったんです」
2012年の総裁選では、高市氏は安倍氏を、山本氏が石破茂氏を応援した。相手陣営に情報が漏れないよう、夫婦で会話もできなかったし、夫に見られないよう、携帯を風呂場まで持っていったこともあったという。
高市氏はこう述べている。
「主人の我慢の風船が破裂したのでしょう……。とにかく私が至らなくて、鈍感だったということです」
「離婚の原因は、主人に嫌な思いをさせてきた私にある。なんだか未練がましいですが、今はとても残念な思いでいっぱいです」
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