「平尾誠二」が逝った9年前の衝撃 「孤高、そして真面目で繊細」なミスター・ラグビーが愛唱した“納得の名曲”とは
その華麗で果敢なプレーに釘付けになった人がどれほどいたことか。元日本代表や元日本代表監督という肩書はあれど、まず「ミスター・ラグビー」と呼ばれる存在といえば平尾誠二氏だ。2023年には、ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授との知られざる友情がテレビドラマとなったことでも、大きな話題を呼んだ。
“日本ラグビー界にこの人あり”の平尾氏だったが、2016年10月20日、天命というにはあまりにも早すぎる死を迎えてしまった。享年53。同月28日に発表された死因は肝臓がんの一種、胆管細胞がんである。当時の「週刊新潮」で、ラグビー界が受けた衝撃と平尾氏が戦った病を振り返る。
(以下、「週刊新潮」2016年11月3日号「屈強の天才ラガーマン『平尾誠二』を斃した『肝臓がん』」を再編集しました)
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昨年までは元気な姿を
「(9月に見舞いに行ったときは)もう、あんまり元気がなくて、喋るのも難儀な感じで、ほんまに可哀想でした。それでも、優しい子やから“タクシー代出してあげてや”と奥さんに言うてくれたんです。私の足が悪いのを心配してくれて……」
息子の葬儀から戻ってきた母・信子さんは、そう言って声を詰まらせた。
病気療養中だった平尾誠二氏の死が明らかにされたのは、10月20日のこと。53歳という年齢もさることながら、昨年まで元気な姿を見せていただけに、ラグビー関係者にとっては唐突な訃報だったに違いない。
言うまでもなく、元日本代表スタンドオフの平尾氏といえばラグビー界の“伝説”そのものだ。京都・伏見工高時代に全国制覇、同志社大学では大学選手権3連覇という偉業を成し遂げ、神戸製鋼時代は日本選手権7連覇の中心選手でもあった。
ワールドカップに3度出場し、34歳という異例の若さで日本代表監督も務めた。私生活では、元女優の妻との間に2人の子供がいる。
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