東大院生として初めて“箱根駅伝”を走った男が明かす「魔物に出会った瞬間」

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 暦は秋を迎え、今年も学生駅伝のシーズンが幕を開けようとしている。昨年もさまざまな名シーンが生まれたが、その一つに関東学生連合の一員として箱根路に挑んだ古川大晃(ふるかわ・ひろあき・30)選手の活躍が挙げられるだろう。東京大学大学院博士課程に通いながら、29歳(当時)にして箱根駅伝出場の夢を実現させ、4月からは京都工芸繊維大学の特任助教として活躍を続ける古川氏に、改めて大会の思い出や、研究と向き合う現在の日々について語ってもらった(全3回のうち第3回)。【取材・文=白鳥純一】

「運動生理学の権威」の激走も話題に

 古川氏は今年1月に行われた箱根駅伝で、関東学連のメンバーとして9区(戸塚-鶴見間)を激走。同じ東京大学に籍を置き、8区を走った秋吉拓真選手(当時3年)とのたすきリレーや、「運動生理学の権威」として知られる東京大学大学院の八田秀雄教授が、古川氏と並走しながらスペシャルドリンクを渡すシーンも話題を集めた。

「まさか給水の様子がテレビに映し出されているとは思いもしなかったので、皆さんからの反響にとても驚かされました」としつつ、「おかげさまで八田先生が取り組まれている研究にもスポットライトが当たり、他の先生からも『うちの研究室を有名にしてくれてありがとう』と喜んでいただいたことも個人的には嬉しかったです」と、研究者ならではの一面も覗かせた。

家族の反対や浪人も…

 古川氏が箱根駅伝に漠然とした憧れを抱くようになったのは、大迫傑選手や柏原竜二選手の活躍に心を動かされた中学生時代に遡る。高校から本格的に競技に取り組み始めた古川氏は、3000m障害で南九州大会に出場。5000mでは上位選手の指標となる14分台にはわずかに及ばなかったものの、それに迫る15分5秒のタイムを記録して3年間を終えた。

 高校時代には、古川氏の伸び代や才能に目を付けた箱根駅伝出場校から入学のオファーも届いたそうだが、家族の猛反対に遭い、その夢を断念。1年の浪人期間を経て、熊本大学教育学部の生涯スポーツ福祉課程に入学することになった。熊本大学で、毎年12月に行われる島原学生駅伝の魅力に触れた古川氏は、程なくして熱を注ぐように。大学卒業後は「研究も優勝を狙える競技環境も魅力的だった」と話す九州大学大学院の修士課程に進学し、さらなる上位を目指したものの、1年目は6位。修士2年目の2020年には、コロナ禍の影響で大会そのものが中止になり、消化不良のまま修士課程を終えた。

 予想だにせぬ感染症の襲来により、「ランナーとしての大きな目標を失っていた」という古川氏だったが、同時期に博士課程の進学先を探す課程で、かつて思いを馳せた箱根駅伝への思いが再燃。関東学連に属する東京大学大学院の博士課程に入学を決め、研究と並行しながら練習に励んだものの、過去3年間は出場を果たせず。「これまでの大会では出走する選手の付き添いを任されていましたが、沿道の大歓声を聞くと、走れなかった悔しさが込み上げてきて。大会への思いも一層強くなりました」と受難の日々を明かした。

事前に出走は決まっていた

 新年度から京都工芸繊維大学の特任助教への就任を控えるなかで臨んだ、古川氏にとって最初で最後の箱根路挑戦は、大会当日1月3日のエントリー変更で明らかになった。

「チームの作戦で、当日にメンバー入りを発表しましたけど、実際は関東学連チームの合宿でタイムトライアルの上位に入った12月初旬には、既に出走が決まっていたんです。監督がメンバーの個性や思いを汲み取りながら、選手を適材適所に配置して下さったおかげで、それぞれが安定した走りを見せられたのではないかと思います」

 10月の予選会で敗れたチームのタイム上位者によって構成された関東学生連合、チーム編成から3ヶ月ほどの短期間で、本番を迎えることとなる。普段は別々のチームで競技を続ける選手たちが、一堂に会しての練習時間も限られるなかで、最年長の古川氏は主将としてチームを牽引。「下りが得意」な特性から、復路で最も長い9区を任され、戸塚中継所から鶴見中継所までの23.1kmを激走した。

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