元「東大院生」古川大晃が明かした“憧れの箱根路”を走るまで…学生たちに署名を呼びかけるも関東学連チームの編成は「幻に」

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 いよいよ本日、新春に行われる箱根駅伝の出場校を決める予選会が開催され、1秒を争うレース展開に注目が集まることになるだろう。青山学院大の優勝で幕を下ろした今年1月の箱根駅伝でもさまざまなドラマが繰り広げられたが、多くの反響を呼んだ場面の一つに関東学生連合の一員として箱根路に挑んだ古川大晃(ふるかわ・ひろあき・29)選手が挙げられる。東京大学大学院博士課程に通いながら、29歳にして箱根駅伝出場の夢を実現し、4月からは京都工芸繊維大学の特任助教として活躍を続ける古川氏に、4年目の挑戦で勝ち取った箱根駅伝出場までの日々を振り返ってもらった(全3回のうち第2回)。【取材・文=白鳥純一】

学生10年目で最後の挑戦

 昨年10月の箱根駅伝予選。学生生活10年目、東京大学の博士課程に籍を置く29歳(当時)は、「自身最後の挑戦」という覚悟とともに3度目のスタートラインに立った。

「自分のペースを貫くことを意識しすぎて、力を出しきれずに終わった過去の反省を生かし、前半から先頭集団を粘り強く追うことを意識した」と話す古川氏は、ハーフマラソンと同じ21.0975kmのコースを1時間5分17秒で快走。

 今年1月の箱根駅伝では、関東学連の一員として復路9区を任され、「とても大きな影響を受けた」と話す8区秋吉拓真選手(当時3年)との“東大リレー”や、「運動生理学の権威」として知られる八田秀雄教授の給水シーンなどの見せ場を作った。

「本番では『これが長いこと憧れていた光景か……』と感じながら、大歓声を浴びて走りました。今レースを改めて振り返ってみると、『大会に出場しないと味わえないような世界だったのかな』と思いますし、諦めずにやってきて良かったです」と、1時間11分52秒で走り抜けた23.1kmを振り返った。

「九州の山の神」と言われた大学時代

 1995年に熊本県八代市で生まれた古川氏は、中学校時代にテレビで見た早稲田のエース大迫傑氏や、5区で驚異的なタイムを叩き出し「山の神」と呼ばれた柏原竜二氏の活躍に魅了された。高校から陸上を始めると着実に実力を伸ばし、(高校3年生の 3000mで南九州大会に出場。県の高校総体では、5000mを15分05秒41の自己ベストを記録した。高校3年生の夏には、その活躍を耳にした箱根駅伝出場校から誘いを受け、夢に挑戦するチャンスを掴んだものの、家族の猛反対に遭って泣く泣く断念。古川氏は1年間の浪人を経て、地元の熊本大学に進学した。

「実力のある先輩方に囲まれていたので、まずはチーム内の競争で負けない選手になることを目指した」大学時代は、入学と同時期に存在を知った島原学生駅伝に熱を注ぎ、上りの続く4区(9.38km)で、3年連続の区間賞を獲得。地元のテレビ局からは「九州の山の神」という異名も授かった。

 卒業後は「研究を続けながら、島原駅伝の優勝を目指したい」との思いから、九州大学大学院の修士課程に進学。4区で自身4度目の区間賞を獲得するも、チームは6位に終わり、表彰台の真ん中に立つ夢は叶わなかった。そして「翌年こそは……」と意気込んで臨んだ2020年には、コロナ禍で大会が中止に。ランナーとしての活動どころか外出まで制限され、自身と向き合う中で湧き上がってきたのが、かつて夢見た「箱根路」への思いだった。

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