29歳で箱根駅伝に出場した「東大院生」の浪人時代…「1日10時間の猛勉強を支えた息抜きが毎晩のランニングでした」

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 34年ぶりの東京開催で大盛況に終わった世界陸上が終わり、今年も学生駅伝のシーズンが幕を開けようとしている。昨シーズンは國學院大の2冠達成や、青山学院大の箱根駅伝連覇などのさまざまな名シーンが生まれたが、その一つが関東学生連合の一員として箱根路に挑んだ古川大晃(ふるかわ・ひろあき)選手の活躍だろう。東京大学大学院博士課程に通いながら、29歳にして箱根駅伝出場の夢を実現し、4月からは京都工芸繊維大学の特任助教として活躍を続ける古川氏に、勉強と陸上競技を両立する秘訣を伺った(全3回のうち第1回)。【取材・文=白鳥純一】

シャトルランと学内マラソンで見せた才能の片鱗

 研究とマラソンに打ち込む日々を過ごす古川大晃氏は1995年、熊本県八代市でトマトや米を栽培する農家の姉と二人兄弟として生まれた。

「小さい頃から走ることが好きで、放課後の校庭を走り回ったり、近所の畑でソフトボールを楽しんだりするような活発な子供だった」と、古川氏は自身の幼少期を振り返るが、卓越した運動能力でクラスの注目を集めるような場面は少なかったそう。

 小学校4年生から6年生まで軟式野球に打ち込むも、「ポジションは一応レフトでしたけど、本当に下手だったので、試合には数回しか出場できませんでした」とのこと。毎週通っていたそろばんも、「どちらかと言えば、教室を終えた後に買ってもらえるアイスが楽しみで続けていた」というが、本腰を入れるまでには至らなかったという。

 だが、そんな中でも、小学校3年生の時に挑戦した20mシャトルランでは、79回の記録を打ち出して周囲を驚かせたり、小学校6年生の時には学内マラソンで1位を獲得したりすることも。

「僕の挑戦を見ていた先輩が『お前、6年生になったら100回超えるぞ!』と興奮気味に言ってくださって、至って平凡と思っていた自分の長所を見つけられて、嬉しかったことを覚えています」と当時を振り返る。(※全国体力テスト(令和6年度)のデータによると、小学5年生の男子の平均が46.90回)

「陸上より練習がキツい」バスケ部で過ごした中学時代

 小学校卒業後の古川少年は、地元の公立中学に進学。市民ランナーとして脚光を浴びた川内優輝氏や、箱根駅伝での活躍(早稲田大)を経て、後に東京五輪6位入賞を果たす大迫傑氏)、さらには「山の神」と言われた柏原竜二氏(当時、東洋大)らの力走に心を奪われたものの、中学校に陸上競技部がなかったこともあり、先輩の紹介でバスケットボール部への入部を決めた。

「今振り返ってみると、その後の陸上競技よりもよっぽどキツい練習をしていたように思うんですけど、まったく鳴かず飛ばずで……。全国で名が通った地元の強豪校に150対2で負けたこともあったくらいです。しかも当時の僕は、そのくらい弱いチームでレギュラー争いの当落線上にいるような選手でしたから、上手さとは程遠いプレーヤーだったと思います」

 だが、「凄く頭が良いわけではありませんでしたが、それでも比較的得意としていた」という勉強では学年上位に入り、その後の片鱗を覗かせた。

「1学年60人程度の学校学年でしたが、最初のテストは学年3位で、最高は2位。確か1位は取れなかったような気がしますけど、頑張りがテストの点数に反映されることにやりがいを感じて、真面目に勉強には取り組んでいたように思います」

 そのように語る古川氏はその後、地元の有力公立校として知られる八代高校(偏差値59/みんなの高校情報調べ)に進学。本格的に陸上競技に取り組むこととなった。

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