29歳で箱根駅伝に出場した「東大院生」の浪人時代…「1日10時間の猛勉強を支えた息抜きが毎晩のランニングでした」

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“身近な目標”がテレビで箱根駅伝を見たのがきっかけで

 八代高校に入学し、本格的に陸上競技に取り組むようになった古川氏は、高校3年時に3000m障害で南九州大会に出場。

 古川氏と同じ熊本県生まれで、「高校1年の時に県大会での活躍を目にし、身近な目標だった」2歳上の久保田和真氏(当時、青山学院大)が、箱根駅伝で活躍(当時、青山学院大)する様子をテレビで見て、「目標が現実的に手の届くところにあると知り、より練習に熱が入った」という古川氏は、5000mでも自己記録を大幅更新。15分5秒のタイムで、充実した3年間を終えた。

「当時は部活も学業も、『先生の教えを聞いて、ひたむきに頑張っていれば自ずと結果が出る』と思っていたので、自分で工夫して取り組むような場面は少なかったと思います」

 と謙遜気味に回顧する古川氏は、多忙な日々の中で文武両道に励んだ。

箱根出場校からのオファーも、両親の猛反対で浪人生に

 高校時代の成績は1学年約240人中50番前後の「普通より少し上ぐらいの生徒だった」という古川氏だが、物理や化学といった理科が得意だったそう。自身の夢である箱根駅伝出場の可能性があり、かつ興味のある人間科学分野を学べる大学への進学を目指して、必死に勉学に励んだものの……。地元国公立大学への進学を望む両親の猛反対により、上京を断念。高校卒業後の古川氏は、1年間の浪人生活を過ごすこととなる。

「実は高校3年の夏頃に、とある箱根駅伝の常連校から声をかけていただいて、僕も最初はそのオファーに乗り気だったのですが、農業を営む実家の経済状況を見ると『厳しそうだな……』と。当時の僕や両親にとっての東京は、『大富豪が住む場所』というイメージで、勉強よりも経済や心理的な面での大きなハードルがありましたし、実際に両親からも『せめて九州近隣の国公立大に通ってくれたら……』と説得されて、結局諦めざるを得ませんでした」

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