世界一だったツインタワーも今は20位前後に… 古市憲寿がクアラルンプールで見た「中進国の罠」

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 生まれて初めて足を踏み入れた「海外」は、マレーシアのクアラルンプール国際空港だった。実は20歳になるまで日本を出たことがなくて、ノルウェーへの留学が初めての海外だった。時代なのか、ただの知識不足だったのか、大学の生協で手配してもらった航空券は、わざわざクアラルンプールとアムステルダムを経由してオスロへ向かう便。

 見送りに来てくれた友だちが羽田と成田を間違えるというベタなエピソードを経て、マレーシア航空機はクアラルンプールに到着した。8月だった。飛行機を降りた瞬間に、日本とは違う「南国」を感じたことを覚えている。肌にまとわりつくような湿気と、むっとする熱気。それが初めて経験する海外だった。

 そのクアラルンプール国際空港へ20年ぶりに行ってきた。だが「南国」の記憶はうそだったのではないかと思うほど、空港中が涼しい。むしろ寒い。調べてみると空港は1998年に開港している。黒川紀章の設計で「森の中の空港」がコンセプトだという。まあ普通に考えたら当時から空港は涼しかったはずで、蒸し暑かったとしたら搭乗橋を渡る一瞬だろうか。

 その時は何とも思わなかったが、今回驚いたのは、空港内にやたら日本語表記が多いこと。時代だろう。開港時は経済的に日本の存在感が大きかったのだ。貴重な20世紀の遺物だと、平成っぽいフォントの日本語をまじまじと眺める。

 初めてクアラルンプールの街を回ってみた。空港と同じ1998年に完成したペトロナスツインタワーは、当時は世界一の高さだった。東南アジアの中でもマレーシアの工業化は早く、その栄光の時代の象徴ともいえるタワーだ。

 だが2000年代以降、中国が「世界の工場」として台頭。加えて長期政権と汚職問題により経済の透明性が疑問視され、金融投資はシンガポールへと向かった。安い労働力を武器にある程度まで成功したが、完全な先進国にはなれない典型的な「中進国の罠」に苦しんでいる。ペトロナスツインタワーも高さランキングで今や20位前後。

 寂れかけた国立博物館に寄ったのだが、目に留まったのは金属器時代に関する展示。マレーシアにおける金属器時代は約3000年から2500年前に始まったというのだ。意外と早い。インド洋と南シナ海を結ぶ交易ルートの要衝だったことが大きいらしい。

 だが熱帯雨林に覆われ、大規模な穀倉地帯を形成しにくかったマレー半島では、中国やインドのような巨大王朝や国家が発展することはなかった。ちなみにAIに聞いてみたら、農業基盤を強化し、文字文化による官僚制度を整備し、外来宗教をうまく統合できていたら、大帝国になっていた可能性があったかもしれないと言っていた。

「早いこと」はアドバンテージではあるが、勝つために絶対に必要、というわけではないのだろう。僕も内向きだった10代を払拭するように、毎月のように海外に行っている。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2025年10月16日号掲載

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