「ノーベル賞」を同時受賞した“日本の研究者4人”若き日の秘話 「神様じゃないかと思った」「従兄弟同士で切磋琢磨」

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高2の授業で「神様じゃないかと思った」

 物理学賞を受賞した、高エネルギー加速器研究機構・名誉教授の小林誠氏(64)は、愛知県名古屋市で生まれた。地元の中学から進学校の県立明和高校を経て、名古屋大学理学部物理学科に進む。

 小林氏も小学生の頃からすでに成績はトップクラス。高校時代には、数学、物理、英語がずば抜けていた。同級生の西島俊氏は話す。

「高2の数学の授業でのこと。先生が難しい数列の問題を黒板に書き出し、さあ答えてみろと意地悪に言うんです。中でも数学が得意な連中4名ぐらいに解かせたが、誰も答えられない。そこで最後に先生が、“おい小林、出来るか”と。小林君は恥ずかしそうに前へ出て行って、あっという間に解いちゃった。クラス中が“オーッ!”と拍手喝采。神様じゃないかと思った」

 とはいえ、小林氏もガリ勉タイプではなかった。中学・高校と硬式テニス部に所属。熱心に活動していたが、普段は物静かな少年だったという。同級生の加藤清士氏の印象では、

「我々なんかは休み時間にワイワイ騒いだりしたけど、彼はいつもニコニコして、何か腕を組んで物を考えているような感じ。一般の生徒よりも、ちょっと大人びていましたね」

親族間での呼び名は“マコちゃん”

 小林氏の父親は内科医だったが、幼少の頃に病死。小さな洋裁店を営む母親の手ひとつで育てられた。手のかかる子供ではなく、母親も教育に関して口煩い方ではなかったようだ。

「彼は、親族の間では“マコちゃん”と呼ばれていますが、その呼び方が相応しい、本当に優しい男ですよ」

 と語るのは、小林氏の従兄に当たる天文学者の海部宣男氏。

「お母さんが実家に身を寄せていたこともあり、どちらかというと祖父母に面倒を見てもらっていた関係で、彼はお祖父ちゃん子、お祖母ちゃん子。小さい頃から本を読むのが好きでした。母子家庭なので生活は楽ではなかったでしょうが、本当に素直で、よく一緒に遊んだ。

 それに昔から勉強家で、名大大学院時代にお母さんが、“家に帰ってきても夜中まで勉強ばかりしている”と話していた。物理にのめり込んで一番勉強していた頃です。お母さんは本当に気丈で明るい人ですが、勉強のことで口を挟むような人ではありませんでした」

従兄弟同士の切磋琢磨もあった

 小林氏には、従兄が19人いる。海部俊樹元総理もその1人。そうした親族の環境も影響したようで、

「マコちゃんは、奨学金を貰いながら家庭教師のアルバイトで生活費を捻出するような学生生活だったそうです。本当なら東大、京大に行ける能力はあったはずですが、地元の名大を選んだのは、母1人残して行けない事情もあったと思う」

 そう話すのは、従兄で愛知トヨタ自動車元副社長の小野茂勝氏。

「彼が理系の道に進んだのは、父親が医者ということもあるが、母親も当時では珍しい高等女学校を出た才媛で、やっぱり数学なんかが得意だった。彼が業績を残せた背景には、従兄弟同士の切磋琢磨もあったと思う。従兄弟の中では彼が一番年下。中には天文学者もいて、ウチの母親からは優秀な従兄弟たちを見習って勉強しろと何度も言われたものでした。それで私は八高(現・名古屋大学)に入ったが、それを見たマコちゃんのお母さんは、彼に“あなたも茂ちゃんみたいに勉強しなさい”という具合。

 海部俊樹は実家が写真館で、働いていた写真師見習いから“坊ちゃんは将来、政治家になります”なんておだてられて本気になり、小学生の頃から政治家の演説のレコードを買って聞いていた。そういう、従兄弟同士でいい影響を与え合うことが出来たのも大きかったのではないかと思っています」

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 大学院入試のドイツ語の試験は白紙で提出――。第2回【ドイツ語試験は白紙で提出、小6で驚くほど精巧な模型…「ノーベル賞」を同時受賞した“日本の研究者4人”若き日の秘話】では、益川敏英氏と下村脩氏の若き日を探る。

デイリー新潮編集部

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