挨拶は無視され、車はパンク、怪文書…「素人に何ができる」 3児ワンオペ母の元主婦が年商1000億円「ご当地スーパー」を復活させるまで
吸収・合併が相次ぐ小売業界の中で、独自の存在感を放ち続けているご当地スーパーがある。鹿児島県人なら誰もが知る「タイヨー」だ。現在でこそ鹿児島、宮崎に93店舗、従業員数3000人を超えるが、13年ほど前には深刻な経営危機に。その窮地を救ったのは、ひとりの“元主婦”だった――。
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【写真】スタイル抜群、とても敏腕経営者には見えない! 世界各国を旅する、まるでセレブ女優のような照美さんの姿にうっとり…
「清川商店」を前身にもつタイヨーの創業は1960年。その2代目に当たる夫のもとに清川照美さん(67)が嫁いだのは、今から43年前のことである。
現在は長男が社長に就任、自身は副社長を務める照美さんだが、創業者である義父からは結婚当初、「息子の嫁ではなく、タイヨーの嫁になってくれ」と言われ、夫をサポートする役割を求められていた。
「とはいえ当時、やっていたことは、参考になりそうな新聞や雑誌や書籍の記事をチェックして夫の机に置いたり、銀行や取引先との話し合いの場に同席する程度でした」(照美さん、以下同)
夫とはお見合い結婚。厳格な家庭に育った照美さんは、大学卒業後に1年間ほど働いた経験こそあるものの、経営に関する知識など一切なかった。毎朝、家じゅうのトイレや風呂を磨き上げ、夫の肩をマッサージするのが日課。ワンオペで家事と3人の育児をこなし、3歩下がって夫に付き添う、典型的な“鹿児島の嫁”であった。
育児がひと段落した2002年頃には少しずつ経営に携わるようになったものの、本格的にタイヨーに関わるようになったのは2012年からだ。
「当時のタイヨーは、外資や大手から買収される……なんていう話もあったくらい。それでも“他が潰れてもウチが潰れるわけがない”と、全員が楽観視していたのです」
そんな状況のタイヨーに、秘書役の肩書で照美さんがやってきたのは、同年の6月終わりだった。業績の悪化を改めて目の当たりにし、驚愕した。全店舗のうち半数以上が赤字、本業の利益はごくわずかにとどまり、株価も上場当初から大きく値を下げていた。
「店舗数は10年前より増えていましたが、売り上げの伸びが鈍くなる一方で、人件費は1.5倍以上にふくらんでいたのです」
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