女優「太地喜和子」 車ごと深夜の海に転落し、48歳で不慮の死…噂に上った男性が明かしていた「最後の想い出」
男遍歴もすべては芸に結びついていた
だが、太地喜和子さんといえば、やはり何といっても派手な男性関係が思い出される。
「26歳で結婚し、後に離婚した津坂匡章(現・秋野太作)以外にも、三国連太郎、中村勘九郎、内田良平、峰岸徹、田辺(邊)昭知、尾上菊五郎に映画監督の長谷川和彦あたりの名前が取沙汰されましたね」
というのは、芸能評論家の桑原稲敏氏。
「特に十代の頃に同棲していた三国との関係は深かった。彼のために15の時から飲んでいた酒をやめて料理学校に通い、ボーイッシュな女が好きだと聞けば長かった髪を切りもした」
けれどそうした男遍歴も、すべては芸に結びついていた。
「彼女はどんな美男子でも、芸人としての迫力のない男には決して惚れなかった。三国にしても、最初は彼の芸を吸収しようと近づいたのだし、勘九郎の場合も芸人の色気に惚れたといっていた。本当に、骨の髄まで女優だったんですよ」(桑原氏)
かつて噂に上った、田辺エージェンシー社長(1992年当時)の田辺昭知氏はこう語る。
「彼女が19歳の時に知り合ったんですが、当時から舞台にかける情熱には鬼気迫るものがあった。去年春、僕が結婚した時に久しぶりに電話があり、おめでとうといってくれたのが、最後の想い出になりました」
(「週刊新潮」1992年10月22日号「不慮の死を遂げた太地喜和子48年の『芸と男』」より)
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他の誰とも代えることのできないオリジナリティー
「週刊新潮」は2011年にも太地さんの記事を掲載した。そこに寄せられた演劇評論家2人のコメントは、「女優・太地喜和子」の凄みを端的に言い表している。
「今でも喜和子が生きていたら、と思うことがあります」と語ったのは、岩波剛氏(2023年10月15日死去、享年93)。
「太地喜和子という女優は、人間の作ったモラルや倫理のために生きる人ではありませんでした。今の女優さんは、みんなきれいで上品だけど、似たりよったりで規格品のよう。でも、喜和子には、他の誰とも代えることのできないオリジナリティーがあった。喜和子は喜和子でしかなかった(後略)」(「週刊新潮」2011年2月24日号より)
東大名誉教授でシェイクスピア劇の翻訳で知られる小田島雄志氏(94)も、「一言で言えば“濃い女優”だね。喜んだり悲しんだりするその感情が、体全体から溢れてくる」と語った。
「私は1万本以上、芝居を見てきたけど、あれだけ喜怒哀楽を見ている者の心に痛切に訴えかけてくる女優はいなかった。1972年の『ロミオとジュリエット』(文学座公演)のラストシーンも凄かった。彼女が“おばちゃんの真似していい?”と言うから何かと思えば、彼女の祖父が亡くなった時、祖母が亡骸を抱えて、遠くを見つめて微笑んでいたんだという。
普通、ジュリエットを演じるなら、“何で私を置いて先にいってしまったの?”というくやしさや無念といった表情をするものでしょう。でも、喜和子は、一瞬で永遠の愛に生きる女の世界に入った。ロミオを抱きかかえ、全身で撫でながら遠くを見つめ、微笑む。そして、次の瞬間、胸にグッと短刀を突き刺す。見ていた僕は、体中に電気が走ったみたいでしたよ」
かくも鮮烈、そして今も忘れ得ぬ名女優である。



