女優「太地喜和子」 車ごと深夜の海に転落し、48歳で不慮の死…噂に上った男性が明かしていた「最後の想い出」

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

 舞台と映画で活躍していた女優、太地喜和子さんが突然この世を去ったのは1992年10月13日のことだった。年を重ねるごとに女優としての実力とオーラを輝かせていた太地さんは、まさに大輪の花。異性関係のゴシップも多かったが、彼女の本領は言うまでもなく“芝居”だ。「週刊新潮」のバックナンバーから、「骨の髄まで女優だった」というその生涯と演技を振り返る。

 ***

(以下、「週刊新潮」1992年10月22日号「不慮の死を遂げた太地喜和子48年の『芸と男』」を再編集しました。文中の年齢、肩書等は掲載当時のものです)

「海を見にいこう」と4人でドライブへ

「私はなぜか色っぽいとよく言われます。ならば、例えば不慮の事故などで死亡しても、皆さんのご期待を裏切らないような下着を着けて出掛けることをいつも心掛けています」

 まさか、今回の事故を予期していたわけではあるまいが、女優の太地喜和子さん(48)は、役者仲間にそう語っていたそうだ。

 10月13日午前3時過ぎ、車ごと海に転落した太地さんは、運ばれた病院で死亡した。

 事故が起こったのは静岡県伊東市にある観光桟橋。同市内で行われた公演「唐人お吉ものがたり」を終えて、同じ「文学座」の劇団員2人と食事をした後、2軒のスナックをはしごした。最後に寄ったスナックのママと意気投合して、「海を見にいこう」と4人でドライブに出掛けたのだった。

「桟橋に来て、帰ろうと車を方向転換させるためにバックした際、誤ってそのまま海に転落したようです」(伊東署の話)

 レスキュー隊が駆けつけた時には、自力で脱出した2人の男性と女性1人が船の係留ロープに掴まっていた。が、太地さんだけが、深さ3.2メートルの海底に沈んだ車の中に閉じ込められたままだった。

「運転席の窓ガラスだけが開いていましたが、太地さんはその中で浮いている状態でした。スーツ姿で、ちゃんとした身なりでしたよ」(レスキュー隊員)

演劇界の損失は大きい

 太地さんは東京に生まれ、昭和34年に東映ニューフェイスとしてデビューした後、俳優座養成所を経て文学座へ。以来、スクリーンと舞台に二股を掛けて活躍してきた。

 芸に関しては、かねがね、「上手い役者といわれるよりも、“今夜お願いしたい”といわれるような女優になりたい」と公言。その言葉通りに奔放に生き、個性派女優としての地位を築いてきた。

「杉村春子の後を継ぎ、文学座の屋台骨を支えられるのは彼女だけだというのは、劇団内外の誰しもが認めること。最近は杉村のレパートリーを、随分引き継いでいた。この先どんな大女優になったかと思うと、演劇界の損失は大きい」(演劇記者)

 その妖艶な容貌に似合わず、性格は男性的で豪快。とりわけ酒豪としての名声は芸能界に鳴り響き、これまた酒豪の十朱幸代と、新大阪から東京までの間に新幹線のビールとウイスキーを2人ですべて飲んでしまった――という逸話も残っている。

次ページ:男遍歴もすべては芸に結びついていた

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。