「なぜSOSに気づけなかったのか」息子が9歳の頃“2つ年上の男の子”から「性暴力」の被害に 息子を守れなかった母親が抱える自責の念

国内 社会

  • ブックマーク

「私のせいだ」と責め続けた

 母親がこの2つの記述について説明する。

「上は息子が、被害当時のことを思い出した時に語っていた言葉です。下のは、息子が家の中で私の携帯を叩きつけたりして暴れた時のこと。この時は、息子が突然、海外で起きた、性被害を受けた息子の父親が加害者を射殺した事件のYouTube動画を私に送りつけて『なんでウチの親はここまでしてくれないのか』と当たってきたのです。夫と2人で、私たちもB のことが憎いけれど、犯罪者になって人生を棒に振るようなことになってはいけないんだと諭したんですが、息子は『そういうことを言いたいわけじゃなくて、なんで僕の苦しみをもっと理解しようとしてくれないんだ』と暴れて…。私たちもまだこの頃は、性被害を受けたトラウマがどれだけ苦しいものなのか、きちんと理解していなかったのです」

 息子のケアを続けながら、母親はずっと自分を責め続けていた。息子をBと一緒に練習に連れて行ったのは自分だったからだ。

「Bの両親は共働きだったので、私が練習場や大会に息子と一緒に連れて行っていたのです。Bが年下の息子を小突いたりしているのは認識していました。けれど、Bは私の前ではいつも“いい子”を演じていたので、ちょっとやんちゃな子くらいにしか見えなかった。一方、息子は一人っ子で大人しい性格。活発な子と一緒にいた方が逞しく育つだろうと思って2人を一緒に練習させていました」

 確かに繰り返し息子が発するSOSを受けていた記憶があった。

「2人を練習場に残して、私が去ろうとすると息子は『お母さん行かないでよ』『ちゃんと見ていてよ』『怖いことがある』とよく言っていた。被害を受けた場所は練習場やキャンプ場などのトイレなのですが、2人がトイレに行ったまま30分以上帰ってこない場面もありました」

11歳12歳ならば何をやっても許されるのか

 記憶を辿れば辿るほど、あの時、大きな異変が起きていたことに気づいた。

「ある日を境に、お迎え後の車内で顔色が悪く、無表情でぼおっとして声かけに反応しなかったこと。何度かパンツに血が付いていたこと。一日に何度もパンツを変えていたことも思い出しました」

 母親は当時公文の先生をやっており、他人の子にも平等に優しく接するよう心がけていたという。自分が勝手に思い描いていた「理想的な母親像」が息子の被害を拡大してしまったと悔やみ続けるうちに、やがて自分自身の心身も崩してしまった。

「昨年9月、失神して救急車を呼ぶ騒ぎが起き、10月には入院しました。私もうつ病と診断され、近く障害者手帳が交付される見通しです。この1年半はもうボロボロで、家事がまともにできなくなり、コンビニなどの出来合いの食事で数カ月過ごしていた時期もありました。結局仕事は続けられなくなり現在は休職中で、病院代、弁護士代など経済的な負担も重くのしかかっています」

 何よりも苦しいのは、加害者への憎しみの感情が薄らぐどころか増幅していくこと。それが原因で前に進めないことだと語る。

「Bがちゃんとこの問題に向き合い、過去の過ちを詫びてくれさえすれば、私たちはもっと早く立ち直れていたのです。にもかかわらず、彼は中途半端な形でしか罪を認めず、逃げ続けてきた。この問題に直面して以降、警察、マスコミなど色々なところに相談してきましたが、皆が口を揃えて言うのは『未成年の時に起こしたことだから』。でも、11歳12歳ならば何をやっても許されるのでしょうか。そして問題視すべきは、成人であるBの現在の姿勢だと思うのです」

 第2回【「無理やりトイレに連れ込まれて10分以上激痛が…」 9歳の頃“2つ年上の男の子”から受けた「性暴力」から23歳男性が今も立ち直れない理由】では、過去の行為について弁護士を通して謝罪を求めた時のB側の対応についてAさんが語っている。

デイリー新潮編集部

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。