妻に「ママ」を求めてしまう哀しき50歳夫 原因は“親失格の実母”と“バイト先の女将”のせいなのか

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若い男が同居、妹を見る目が…

 それでもさすがに孫たちのことが気になったのだろう。彼が9歳のころ祖母や伯母がやってきたことがあった。飲んだくれて顔色の悪い母が、祖母と伯母に怒られていた記憶がある。だが母の生活態度は改まらなかった。ときどき来ていた祖母たちも、徐々に顔を見せなくなった。母だけでなく、親戚にも遺棄されたと峻也さんは苦笑する。

「僕が中学に上がったころ、若い男性が同居するようになりました。母は男に媚びてばかりいた。男は母といちゃいちゃしているときもあったけど、だんだん妹を妙な目で見ていることに気づきました。もしかしたら僕の思い過ごしかもしれない。僕は母に何度も『あいつは追い出したほうがいい』と言ったけど、母は聞く耳を持たなかった。とにかく妹を守らなくてはという思いで必死でした」

 心配だったから彼は部活動もせず、妹と待ち合わせして一緒に帰宅するようにした。そのうち男は母に飽きたのか、偽の家庭にうんざりしたのか、姿を消した。母はぼんやりと日常を送るようになっていく。

「地元の公立高校に入ったとき、母に『しっかりしてよ』と言ったことがあるんです。でも母は、今思えばうつ状態だったんでしょうね。生きる気力をなくしていた。それでも男ができるんですよ、なぜか。そうすると急に生き生きとして夜は帰ってこなくなる。もう、母がいなくてもいいやと思うようになっていきました。母が家で鬱々としているよりは、夜はいないけど張りのある顔をしていてくれるほうがいいと」

家族が重い

 祖母と伯母は忘れたころに交互にやってきた。もうおにいちゃんが大きいから何とか大丈夫ね、この家はと言われたのが高校2年生のときだ。「大学の費用は出してあげるから」と祖母がはっきりと言ってくれた。

「妹は地元のワル仲間とつるんでいたけど、僕はせっせと勉強しました。こんな家庭からは早く抜け出したかった。母のことも妹のことも、心から追い出しました。自分のことだけ考えて生きていこうと決めた」

 家族が重かった。家族のためにがんばってもまったく報われないと若い峻也さんは気づいてしまった。友人が、家族と旅行したり外食したりした話を聞いても、特に羨ましいとも思わなかった。経験がないことは羨望の的にもならないのだろう。

「大学に入って上京しました。妹のことは多少気になったけど、『自分の人生をひとりで考えて生きていけよ』と冷たい言葉を残した記憶があります。親ガチャにはずれた僕らは、自分で自分を守っていくしかない。妹にも早く気づいてほしかった」

バイト先の夫婦に救われて

 その後、妹は高校を中退、ワル仲間の子を妊娠するも、結婚もせずに逃げられた。そんな妹をチラチラと見ながら、彼は自分の思った道を進んでいく。

「18歳でひとりになって、それからは自分の人生を自分で作っていくんだと意気込んでいました。大学生活は楽しかった。もちろんアルバイトをしなければ生活できなかったけど、まかないのついた居酒屋で一生懸命働きました。ちゃんとごはんを食べさせてもらえるだけでありがたかった」

 彼が長期間、バイトをしたのは個人経営の居酒屋だった。主人夫婦が本当に親切にしてくれた。突っ張っていた彼の心が少しずつ溶けていき、女将に自分の境遇をぽろっと話したこともあった。

「大学2年のときだったかな、熱を出してバイトに行けなくなったんです。なんとか電話で連絡してひとりで寝ていたら、夜中に女将さんがアパートを訪ねてきた。『おいしいものをもってきたから食べて』と、いろいろ差し入れしてくれて。ありがたかった」

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