マラドーナに「一番だ」と言わしめたマルセロ・ビエルサ “狂人”と呼ばれた男の執念(小林信也)

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 サッカー界には個性的な指導者が多い。中でも「エル・ロコ」(変人、狂人)の名で呼ばれるマルセロ・ビエルサはあまたの奇才の中でも群を抜く存在だ。

 ビエルサはいまウルグアイ代表監督を務めている。来年のW杯北中米大会に向け10カ国で争われた南米最終予選、代表枠は6。アルゼンチン、ブラジル、エクアドルが先に突破を決め、ウルグアイは残る3枠をパラグアイ、コロンビア、ベネズエラと争った。

 2023年に代表監督に就任したビエルサは厳しい逆風も体験した。昨年10月、ウルグアイ代表で最多得点記録を持つルイス・スアレスがメディアで強烈なビエルサ批判を展開したのだ。

「ビエルサは選手に対して『おはよう』のあいさつさえしない」「長年一緒にやってきたスタッフと一緒に食事をすることも禁じられた」「トレーニングの方法が大幅に変わったのも不満だ」そして「自分はチームを代表して監督に5分ほど直訴したが、返ってきた返事は『ありがとう』の一言だけだった」と。

 スター選手に特権を与えず、あくまで監督の方針の中で機能を求めるのはビエルサの基本姿勢だから、スアレスとのあつれきは想定内。ビエルサは動じなかった。

 9月4日、アウェーで敗れたペルーをホームに迎え、出場権を懸けて戦った。

「選手のために100時間かけて準備する」と自他ともに認めるビエルサは、ペルーを丸裸にして臨んだのだろう。3対0で快勝し3位に躍進。本大会出場を決めた。

僕の本はサッカーのピッチにある

 ビエルサは1955年、アルゼンチンのロサリオで生まれた。幼い頃からサッカーに魅せられ、地元のニューウェルズ・オールドボーイズを応援した。ビエルサの家系には、法律家や政治家が多かった。父は弁護士、母は教師。知的な分野での活躍などを嘱望されていた。しかし13歳の時、

「本を読むのは好きじゃない。僕の本はサッカーのピッチにある」

 後に政治家になる兄にそう告げたという。その言葉は、彼にとってサッカーが単に肉体の勝負でなく、限りなく知的な洞察に満ちた世界であり、その洞察の戦いに身を置くことを天命と自覚したかのようだ。

 大学卒業後、憧れのオールドボーイズのディフェンダーとしてプロ選手になる。だが選手生活にはわずか3シーズン、通算113試合の出場で区切りをつけた。当時まだ25歳。引退後すぐオールドボーイズの下部組織で指導者となり、90年、35歳でトップチームの監督に昇格した。92年には南米ナンバーワンクラブを決めるコパ・リベルタドーレス準優勝に導いた。

 98年にはアルゼンチン代表監督に就任。優勝候補と目された2002年大会ではグループリーグ敗退の挫折を味わうが、04年にはU-23アルゼンチン代表を率いてアテネ五輪で優勝。その後もチリ代表、マルセイユ、ラツィオ、リールなどで監督を歴任した。

 ビエルサは「相手チームの映像を何百試合分も分析する」ことで知られる。過酷な走り込みや異常ともいえる戦術的こだわりを要求し、「勝利より自分の哲学を貫くことを優先する」とさえ評される。その徹底ぶりから「狂人」と形容されることをビエルサ自身は歓迎している。

「アイデアが成功するまでは、人は変人と言われる」

 GPSを活用したデータ収集と分析がサッカー界の常識となるはるか前から、ビエルサは試合ごとに「百科事典1冊分になる」と驚嘆される分析を重ねて試合に臨んだ。

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