74歳で挑戦した小説が15万部のベストセラーに 映画監督で作家の松井久子さんが明かす成功の秘訣と「70代の性をテーマにした理由」
「私はリミッターを設けない」
再び転機が訪れたのは80年代半ば。当時、テレビの各局が2時間ドラマを放映し始め、松井さんも仕事柄、これらを見るようになる。すると、あることに気付く。
「女性視聴者が多いのに、作っているのは男性ばかりの時代でした。だから女性視点の企画を考えた。すると何人かのプロデューサーが面白がってくれて、以来、ドラマの企画制作に携わることになったんです」
47歳の時、アメリカ在住の戦争花嫁を題材にしたドラマを提案したが相手にされず、では映画化だと考え、資金を集め、大御所の新藤兼人さんに脚本と監督を依頼しようとした。周囲は無理だと言ったが直接思いの丈をぶつけると、脚本は承諾。しかし「監督はあなたがやりなさい」と強く勧められた。そこでひるむことなくやってみるのが松井さんである。
「私はリミッターを設けないんです。元来のずうずうしさもあるんだけど(笑)。いざ監督をやると、俳優への対応など過去の仕事の経験がすべて役立ちましたね」
「70代のセクシュアリティー」をテーマにした理由
製作後の展開も型破りだ。全国の自主上映会に招かれて会場に出向くうち、多くの観客を得ていった。
「それが楽しいんです。1作目『ユキエ』の上映会に携わった人のところに、2作目『折り梅』ができたら再び行ける。一緒に温泉に入ったこともあります。私はそうしてできた全国の友達を訪ねて歩くというやり方をしてきました。『折り梅』では認知症をテーマにして、介護に当たっている人の身の上話をたくさん聞きました。100万人も観てくれて、多くの介護者を救ったとも思っている。あまりお金は残らないけど」
その後ドキュメンタリー映画を撮影していたが、コロナ禍で身動きがとれなくなる。そんな時、旧知の社会学者・上野千鶴子さんに小説の執筆を勧められる。
「映像にできないテーマを考えた時、70代のセクシュアリティーを思い付いたんです。生きる上で本質的問題だと思うんだけど、みんな触れようとしない。私たちの世代は性に対してタブーが多く、潜在意識にフタをしていますよね。私はずっと、自分と同世代とか同じ価値観の人に向けて企画を考えれば、必ず共感してくれる人がいると思って作品を作ってきました。だから小説を書く時も同じことを考えました」
最初は練習のつもりで書き始めたという。発表する考えはなく、これは友だちにも息子にも見せられないな、と思っていた。
「でも最後まで書いたんだからと、上野さんに紹介された編集者に読んでもらったら、ぜひ出版したいと。正直、“えっ、どうしよう……”と思っちゃった(笑)。でもだんだん世間の反応を見たい気にもなってきて」
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