61歳で紅白初出場の歌手・秋元順子さんが明かす「奇跡を起こせた理由」 結婚、子育てを機に歌手活動を封印した過去

エンタメ

  • ブックマーク

58歳でメジャーデビュー

 月2回ほどのステージと練習の時間を捻出するのは身を削る思いだったが、観客の反応は上々。「あなたの声はジャズに向いている。ボイストレーナーを付けるからジャズを歌ってはどうか」と誘ってくれる人が現れ、仕事は広がった。

 となると花屋の仕事がさらにキツくなる。ある日、配達中に車を停め、寝てしまったら、トントンと窓をたたく人がいる。見ると警官が立っていた、ということもあった。

「疲れ切って歌をやめようかと愚痴を言ったことがあるんです。そしたら娘が、こう言ってくれたんです。『本当にやりたいんだったらトコトンやったら? 私、家の手伝いするから』と」

 そんな支えもあって歌い続けているうちに転機となる出会いがあった。ジャズクラブに来ていた音楽家の星桂三さんから「自分が作詞作曲した曲をあなたに歌ってほしい」と頼まれる。

「マディソン郡の恋」と題された楽曲で、星さんと共同出資してCDを制作。キャリーバッグに入れて地方のライブハウスなどを回って、ちょうど6000枚を売る頃にキングレコードから声がかかり、メジャーデビューを果たした。その時58歳。

「夫は反対しなかったです。『やるんならテッペンを目指さないとな』って。厳しいけどありがたかった」

 メジャー2曲目は売れず落ち込んだが、ライブハウスの客に励まされた。

「あなたは歌を歌うために生まれてきた人。絶対にやめてはいけないよ」

“アラ還の星”と呼ばれるように

 レコード会社から「愛のままで…」を歌わないかと打診されたのは、それから間もなくのことである。

 全国各地で歌うと反応が良かった。90代と80代の夫婦が公民館の一番前の席に座って聞き入り、「これは私たちの人生の歌」と涙ながらに話してくれた。

 売り上げも右肩上がり。そしてついに08年、NHK紅白歌合戦への出場が決まる。

「大みそかに店を片付けながら見ていた番組に出場するなんて夢のまた夢でした。そんな憧れの大舞台でしたが、緊張はしなかったですね。メジャーデビューするまでに支えてくれた人やファンがたくさんいて、その人たちへの感謝の気持ちを込めて歌いましたから」

 翌年1月にオリコン週間シングルランキング1位に輝き最年長記録に。紅白歌合戦に2年連続で出場し、“アラ還の星”と言われた。

 コンサートは、京セラドームなど大きなホールで行うことも多くなり、新幹線に乗ろうとすると頻繁に声をかけられ、サインや写真を頼まれた。

「当時困ったのはスーパーの買い物に行きづらくなったことぐらいかしら」

次ページ:“年齢を一つ取るごとに宝物が増える”

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。