【べらぼう】生田斗真「一橋治済」を怒らせた「松平定信」 堅物が絶対受け入れなかった決定打
松平定信政権が6年で終わった理由
倹約と風紀の取り締まりの徹底に一直線の松平定信(井上祐貴)。このところNHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』の登場人物のなかで、よくも悪くも、一番インパクトがあるのではないだろうか。しかし、定信が強力に推し進めた「寛政の改革」は、彼が天明7年(1787)6月に老中首座に就任してから、6年しか続かなかった。
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定信の改革が頓挫したのは、武士も民衆も、窮屈を強いられて反発したことが原因の一つとされる。「白河の/清きに魚も/棲みかねて/もとの濁りの/田沼恋しき」という有名な狂歌が象徴している。
白河藩主の定信が押しつける、まるで清流のような清廉で潔癖すぎる環境では、魚も人間も住みにくくて仕方ない。賄賂が流行って濁った面があっても、生活が豊かで文化が開花した田沼時代のほうがよかった、というわけだ。
しかし、武士一般や民衆の反発だけなら、定信もかわすことができたかもしれない。じつは定信は、2つの大きな権力を敵に回し、いわば虎の尾を踏んでしまった。それこそが失脚の決定打になったといわれる。第37回「地獄に京伝」(9月28日放送)では、それにつながる場面が描かれた。
光格天皇とのやっかいなもめごと
一橋治済(生田斗真)は、定信を呼び出すとこう尋ねた。「それから例の、朝廷よりの件はいかがとなっておる?」。定信が「帝がお父君に太上天皇の尊号をお贈りしたいという一件にございますか」と聞き返すと、「あれは認めてもよいと思うがの。特段こちらにかかりをという話ではなし」と治済。これに定信は「かしこまりました。では、御三家にもはかりました上、私のほうで返答いたしておきましょう」と述べた。
太上天皇とは、要するに「上皇」のこと。光格天皇が、実父の閑院宮典仁親王を上皇にしたいと望んでいるので、治済は承諾してもいいのではないか、と定信に伝えた。そういう場面だった。ところが、定信の考えは違ったのである。
後日、治済は定信にこう問いかけた。「太上天皇の尊号の一件は、不承知と返答したそうじゃの?」。これに対し、定信は自信たっぷりにこう答えた。「ご尊号は譲位された帝のみに贈られる尊称。帝のお望みでも先例を破ることよろしからずと、御三家、老中ともまとまりましたゆえ、将軍補佐として私が、然様に上奏するように決しましてございます」。
閑院宮典仁親王は天皇の実父であっても、自身が天皇の位についたことはなかった。それなのに、一般に退位した天皇に贈られる「太上天皇」の尊号を宣下するのは、道理に合わないというのが定信の主張だった。
だが、光格天皇との「もめごと」は、定信が老中首座に就いた当初からはじまっており、最後まで引きずることになる。
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