「ボーカルがマネージャーを殴り、病院送りに…」 「SIAM SHADE」ギタリストが明かす解散の真相 「メンバー間の乱闘で警察が来たことも」

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

名古屋での事件

 1999年には、ライブが中止になる事態まで起きた。この年、3月から5月にかけてSIAM SHADEは全国ツアーを行った。

「4月、鹿児島でライブを開いた時のことです。ライブが終わり、アンコールまでの間に楽屋で争いが起き、栄喜がメンバーやスタッフに暴行を働いた。殴られたメンバーの1人が入院する騒ぎとなり、翌日に予定されていた熊本でのライブが開催不可能となってしまった。一旦中止し、ひと月先に振り替えて開催しましたが、ファンの皆様には本当に迷惑をかけてしまいました」

 この時は栄喜がメンバーに謝罪して騒動は一旦収まったものの、その後も、彼に端を発するメンバー同士のいざこざは止まらなかった。パフォーマンスにも影響が出始め、ついにはメンバーの脱退話まで具体化してきた中、決まったのが、メンバーが「夢」と言い続けてきた日本武道館での公演である。2001年の12月に、ついに「ライブの聖地」での開催が決定したのだ。

「我々にとって大きな目標が実現できることになった。そこで、ファンの皆様へ感謝の気持ちを示そうと、自分が『LOVE』というシングルを作りました。その後、ライブ準備やリハーサルの合間をぬって、そのシングルのキャンペーンを行っていた時のことです」

 武道館ライブの前月の11月、プロモーションのため、名古屋を訪れた日の夜、事件は起こったという。

「打ち上げの飲食店で、バンドやメンバーの将来のことを巡って、栄喜がチーフマネージャーに激怒し、一方的に暴行、ボコボコにしてしまったんです。その場にはメンバーの自分だけではなく、レーベルの方々やスタッフ関係者も多数いて、止めに入った私たちを巻き込んで大変な乱闘が起きました。チーフマネージャーは眼底骨折の重傷を負ったほどでした」

 当然、この話は関係者に回り、当時の所属事務所、及びレーベルの幹部は大激怒。幹部を交えて数日後、話合いの席が設けられた。その席で、

「レーベルの代表より、やはり大恩ある一番大切な人に大怪我を負わせてしまった事実は大きいと言われ、その場で即刻、解散を申し渡されたのです」

 こうして念願の武道館公演という記念のイベントの裏で、実はSIAM SHADEの解散が決まっていたのである。翌2002年3月、武道館で解散コンサートを行い、正式にファンに別れを告げた。メジャーバンドではあるが、デビューから10年も経たないという、短い活動期間に終わったのだ。

次ページ:復活ライブの裏で

前へ 1 2 3 次へ

[2/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。