「ボーカルがマネージャーを殴り、病院送りに…」 「SIAM SHADE」ギタリストが明かす解散の真相 「メンバー間の乱闘で警察が来たことも」

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 1990年代に活躍した、人気ビジュアル系ロックバンド「SIAM SHADE」。2002年に解散後も期間限定で4度復活しているが、2016年を最後にグループとしての活動は止まっている。そのメンバーの1人・DAITAが残りのメンバー4名を相手取って今年の8月、東京地裁に訴訟を提起したことは【前編】で詳述した。DAITAが求めているのは、自らが作曲、編曲した38の楽曲の演奏と、「SIAM SHADE」名での活動の差し止めだ。なぜ5名のメンバーは1:4に分かれて争うことになったのか。【後編】では、DAITAが初めて解散の真相について明かした。

 【前後編の後編】

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訴状に記されたこと

 SIAM SHADEは1993年に結成され、1995年にデビュー。メンバーは、DAITAの他に、NATCHIN、栄喜、KAZUMA、淳士の5名である。活動時の所属事務所はアミューズ、レーベルはソニー・ミュージックエンタテインメント。1997年には「1/3の純情な感情」が80万枚のヒットを記録し、一躍メジャーとなった。解散は2002年。当時、その理由は「5人それぞれが自分の道を歩いていくことが最善」などと説明されていた。しかし、今年8月に提出した訴状の中で、DAITAははっきりとこう述べている。

〈解散理由は、2001年11月、被告今村(=メンバー・栄喜のこと)がマネージャーに暴行を働き、レーベルの代表者が、事態を重く見て「解散をするように」と勧告したためである〉

 事実であれば衝撃的な内容である。

デビュー1~2年辺りから亀裂

「このことはこれまで一度も明かしたこともなく、公にするつもりもありませんでした」

 と述べるのは、原告・DAITAである。

「しかし、私が訴訟に出た背景を知るためには、解散の経緯に蓋をしておくことは出来ない事情があり、ここで真実を明らかにしておく必要があると思いました」

 DAITAによれば、そもそも、SIAM SHADEに亀裂が走り始めたのは、デビューから1~2年後辺りからだという。

「インディーズでは大変人気があり、鳴り物入りでデビューしました。しかし、動員は増えていきましたが、期待を掛けられた割にCDがなかなか売れなかった。一方で、他の同期デビュー組は次々と売れていく中、焦りが生まれてきました」

 そんな中、ボーカルの栄喜による「暴力行為」が目立つようになってきたという。

「プレッシャーがかかるに連れ、メンバーや、マネージャー、スタッフに対して切れ、時には手を出すようになっていったのです。それを咎めるとまた小競り合いが起きる。メンバーの雰囲気はよくなかった」

 1997年、ようやく「1/3の純情な感情」がヒット。バンドを巡る状況は一変したが、

「雰囲気は変わらなかった。もともとそれぞれのバンドでお山の大将だったようなメンバーが集まって出来たグループです。今度は売れたことで勘違いしてしまったように見える言動も出てきて、メンバー間の溝は埋まらなかった」

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