「定年おつかれさま」直後に「離婚して」 妻の爆発も当然…61歳夫がやらかしてきた“自業自得”の歴史
茉莉さんとのなれそめ
勇太郎さんが結婚したのは30歳のときだ。もともと大学の後輩だった2歳年下の茉莉さんとは、26歳のころに再会してからいつの間にかつきあうようになっていた。彼女はもっと早く結婚したがっていた。だが「僕にある程度の経済力がつくまで待ってほしい」と言い続けた。
「バブル直前の入社だったから、初任給はともかくボーナスがたくさん出ました。新入社員なのにこんなにもらっていいのと思うほど。あのころは遊ぶのが楽しかったんです。まだ結婚なんてしたくなかった」
茉莉さんとつきあいながら、同時並行でいろいろな女性と遊んだ。ゆきずりの恋もあったが、誰もがそんな軽薄な日々を楽しんでいた時代だ。
「その後、バブルがはじけたけど、数年は余韻があったから実感はなかったんです。ただ、じわじわと影響があって、そのうち新卒の数が激減したりリストラがあったり。そんな暗黒時代に突入したころ、茉莉との時間だけはなにも変わらないことに気づいた。それで結婚したんです。茉莉は仕事を続けていくつもりだったようですが、結局、妊娠を機に退職しました。つわりがひどかったようです」
そういえばあのころは帰宅しても食事も用意されていなくて、「結婚生活って何なんだろう」と思ったことがあると彼は言った。つらい思いをしていた茉莉さんへの配慮をしたのかと問うと、「覚えてないんですよね」と言う。そういうことの積み重ねが、妻に離婚を決意させたのだろうとだんだん状況が見えてくる。
「出産くらいで騒いで…」
難産だったようだと彼は言った。当時、多忙だった彼は、妻の出産の詳細を職場に伝えていなかった。ただでさえそのころ景気が悪く、職場はぎすぎすしていたし、「出産くらいで騒いで、仕事からはずされたくない」という不安もあったという。
「だから立ち会いなんてもちろんできなかったし、病院に駆けつけたのは出産から数時間たってから。面会だけしてそのまま会社に戻って残業したのを覚えています」
妻は妻の立場で、自分は自分の立場で大変だったと彼は言った。彼にとってはそれが真実なのだろうが、ひとりで初めての出産をした茉莉さんはつらかったのではないか。
「本当はもうひとり子どもがほしかった。でも妻に拒否されました。『あんな大変な思いは2度としたくない』って。ひとりじゃ寂しいと思うよと説得したんですけどね、妻は『私はひとりっ子だけど寂しくなかった』と言われました」
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