生まれ育ちや出身校は違っても…「同じ年に生まれた」者同士が初対面でも盛り上がれるのはナゼか

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一応生き残れたよね

 私自身、就職活動を含め何かと倍率が高くて苦労した世代ではあるものの、52歳となった現在、1973年生まれの人々は「盟友」的感覚がある。あの時は彼らと競争をしたものだが、もはやこの年齢になると、彼らはライバルではなく盟友や同志として存在している。だからこそ、ひょんなことから知り合った人々と喋って1973年生まれ同士だと分かると途端に打ち解けてしまったりもする。

 これを感じたのは約10年前の話だ。私にとって同級生のジャーナリスト・津田大介氏とクリエーター向けSNS「note」の加藤貞顕社長と飲んだ時、3人でこのような話になった。

〈オレら、同級生が多いよね。同じような業界にいる1973年生まれの男だけを集めて飲み会しようよ。ついては、オレら3人が知っている同級生に声をかけて日程を決めよう〉

 結果的にその後「73会」という会が発足し、参加者は麻布十番の中華料理店に集い、しみじみとした夜を過ごした。当時40代前半だった我々は「あぁ、一応生き残れたよね」といった話をしつつ、同級生が善き人生を送れることを願ったのである。

 参加者としては、大ベストセラー『嫌われる勇気』著者の古賀史健氏や、ライターの速水建朗氏、芸人の田村淳氏、俳優の片桐仁氏など。この会で出会ったバンド・NONA REEVESの西寺郷太氏はこれまで私の地元・佐賀県唐津市で3回ライブをしてくれた。

「同郷」という言葉は、初対面の者同士の繋がりを深めてくれるが、「同級生」も同様である。少なくとも我々は1973年生まれということで結束できた。さらに、今年の春、大分県の高校出身の1973年生まれ男が7人唐津にやってきた。どうやら高校時代の修学旅行で訪れた長崎県佐世保市の橋をバックに撮った写真を35年ぶりに撮影して再現したかったのだという。

 この日は唐津の1973年生まれ男3人が彼らを出迎えて楽しい夜を過ごしたのであった。我々が保有する「秘密基地」でスーパーファミコンの『ぷよぷよ通』を深夜までやり続けるという酔狂な会だったが、同級生というものは出身地を超えて仲良くできるものだと感じ入った次第である。

「同じ年に生まれた」ということは、共通の体験があるだけに、案外業種や所在地を超えて仲良くできるのでは? Xで「何年生まれの人、何月何日にオフ会しませんか!」といった呼びかけをしても面白いのではなかろうか。少なくとも私は近隣でそのような呼びかけがあれば是非とも参加したいと思う。

ネットニュース編集者・中川淳一郎

デイリー新潮編集部

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