朝ドラ「あんぱん」主人公はなぜ、妻? 「やなせたかし」ではない理由と好調を支えた脚本戦略
視聴率的には成功
朝ドラことNHK連続テレビ小説「あんぱん」が大詰めを迎えた。あらためて考えてみたい。どうして主人公はやなせたかしさんをモデルとする柳井嵩(北村匠海)ではなく、妻の暢さんがモデルののぶ(今田美桜)だったのか。また、蘭子(河合優実)のモデルは脚本家の向田邦子さんという話はどうなったのだろう。【高堀冬彦/放送コラムニスト、ジャーナリスト】
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「あんぱん」が視聴率的な成功を収めるのは確実だ。歴代最低だった前作「おむすび」の全回平均視聴率は個人7.4%(世帯13.1%)だったのに対し、「あんぱん」は9月第2週の終了時点で個人約9.0%(世帯約16.2%)。関東地方だけで視聴者が約104万人増えたことになる(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。
まだ放送は残っているものの、面白いドラマだった。笑いと涙がバランスよく織り込まれ、退屈させる回がなかった。ただし、やなせさんをモデルとする嵩が主人公の物語も観てみたかった。
その理由の1つは、やなせさんは暢さんの他界後も偉大な人だったから。残り放送時間を考えると、「あんぱん」は暢さんが亡くなる1993年ごろに終わるのだろう。だが、やなせさんは94歳だった2013年まで1人で生きた。
やなせさんは2010年ごろに引退をほのめかす。しかし、2011年3月に東日本大震災が起こると、前言を翻し、「死ぬまで現役」と宣言する。日本漫画家協会理事長として被災地に義援金を贈り、個人としてもアンパンマンのポスターやキャラクターグッズなどを子供たちに贈り続けた。
このポスターのアンパンマンにはやなせさんの特別な思いが込められていた。アンパンマンはいつも柔和な表情だが、このときは拳を握りしめ、戦う姿勢を前面に出していた。やなせさんから子供たちへの「自分自身の中の弱い心をやっつけてしまいなさい」というメッセージが込められていた。
復興のシンボルになった岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」の保存にも協力を惜しまなかった。まず1000万円を寄付。さらに「陸前高田の松の木」という歌を作詞作曲した。
そのCDを自費制作し、地元やボランティア団体に配った。♪ぼくらは生きる 負けずに生きる 生きていくんだ――という詞だった。
郷土も愛し、高知の名物イベント「まんが甲子園」の審査委員長を1992年の創立時からずっと務めた。運営費の援助までしていた。同賞には現在もやなせたかし賞がある。
柳井医院のモデルである柳瀬医院(高知県南国市)の跡地は今、「やなせたかし・ごめん駅前公園」になり、地域の子供たちの遊び場になっている。敷地は約1000平方メートルだから、かなり広い。
この土地はやなせさんがアンパンマンミュージアム振興財団に遺贈。同財団が公園化した。営利とは無縁だ。やなせさんの社会貢献、高知への恩返しを挙げたら、キリがない。
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