朝ドラ「あんぱん」主人公はなぜ、妻? 「やなせたかし」ではない理由と好調を支えた脚本戦略

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蘭子は向田さんなのか

 一方、8月下旬から報道が相次いだ「蘭子のモデルは向田邦子さんか」という説はどうなったのだろう。蘭子は9月19日の放送終了時点で54歳になっている。向田さんは1981年、取材旅行中の台湾で航空機事故によって亡くなった。51歳だった。

 蘭子はのぶより2歳下だから、1920年か1921年の生まれ。向田さんは1929年生まれだが、これは大した問題ではない。年齢差のある人物がモデルになることは珍しくない。

 蘭子は27歳のときに高知県御免与町から上京。39歳から映画雑誌に映評の寄稿を始めた。向田さんにも映画雑誌で編集者を務めていた時期があるから、この部分は重なる。しかし、その後の2人は符合しない。現在の蘭子はフリーの物書きをしている。

 そもそも御免与町で人格が形成された蘭子が、上京後に違う人格になるというのは違和感がある。最初から蘭子のモデルは向田さんだったというのかも知れないが、これも腑に落ちない。生育環境などが違いすぎる。

 向田さんは東京生まれ。父親が保険会社幹部だったため、転勤で全国を転々としたが、支社の置かれた地方都市でばかり過ごした。作品にも表れているとおり、典型的な都市生活者なのだ。また向田家は戦前から経済的にかなり恵まれていた。

 向田さんは性格も蘭子とは異なるようだ。TBS「肝っ玉かあさん」(1968年)など数々のドラマで向田さんと組んだ石井ふく子プロデューサー(99)に向田さんの人となりを取材したことがあるが、お茶目な人だったという。

 依頼した脚本が締め切りを過ぎたため、石井さんが向田宅へ原稿を取りに行くと、いきなり「食事しましょう」と言われた。美食家の向田さんの手料理を食べながら雑談をしていると、かなり時間が経った。さらに向田さんから「下町の話を聞かせてほしい」と頼まれたため、深夜になってしまった。

 すると向田さんは石井さんに「こんな時間。またね」と、一方的に別れを告げた。気が付くと石井さんは原稿をもらえなかった。

 最初から向田さんの作戦だった。遅筆で知られた向田さんは、締め切りを延ばすために知恵を絞り続けた。それがあまりに見事だったため、石井さんは「あの人は嘘つき」と笑った。

 一方、やなせさんと向田さんに親交があったことはよく知られている。1950年代、「映画ストーリー」という雑誌にやなせさんがエッセーを連載していた時期、編集者の1人が向田さんだった。

 やなせさんがメイン級の脚本家として参加していた東京12チャンネル(現テレビ東京)の30分の連続ドラマ「ハローCQ」(1964年)に、新人脚本家だった向田さんが作品を2本提供したこともある。やなせさんの推薦だ。アマチュア無線を題材にした連ドラだった。

 タウン誌『銀座百点』(銀座百店会)に1976年から2年間連載された向田さんによるエッセー『父の詫び状』の挿絵をやなせさんが頼まれたこともあった。

「あんぱん」に向田さんが登場するのなら、いずみたくさんをモデルとするいせたくや(大森元貴)らのように、独立した人物になった気がするが、まだ分からない。

 蘭子には向田さんと同じく、海外取材の機会がある。それが気になる。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。1990年にスポーツニッポン新聞社に入社し、放送担当記者、専門委員。2015年に毎日新聞出版社に入社し、サンデー毎日編集次長。2019年に独立。前放送批評懇談会出版編集委員。

デイリー新潮編集部

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