【べらぼう】松平定信の北朝鮮のような出版統制 命を落とす者も出た「黄表紙作家」たちの悲劇
草双紙がはじまって以来のヒット
天明8年(1788)正月、日本橋通油町の耕書堂の店先に、朋誠堂喜三二作の黄表紙『文武二道万石通』が並んだ。源頼朝が重臣の畠山重忠に命じ、武士たちを文武に秀でた者と、どうにもならない「ぬらくら武士」に選り分けさせ、「ぬらくら」を改心させるという内容だった。ちなみに「万石通」とは、玄米と籾とを選り分けるための道具のことだ。
鎌倉時代の話だが、畠山重忠は梅八紋がついた裃を着ており、松平定信が置き換えられているとわかる。一方、ぬらくら武士としては、七曜紋がついた衣装を着ているのは田沼意次に違いなく、ほかにも元勘定奉行の松本秀持、元勘定組頭の土山宗次郎ら、田沼派の武士たちが描かれていた。...


